Subject:
テサロニケ人への手紙第一-喜び・祈り・感謝の位置づけ
From:
Koh Aoki
Date:
2010/03/03 23:00
To:
Saiwainet

テサロニケ人への手紙第一-喜び・祈り・感謝の位置づけ

 テサロニケ人への手紙第一と聞いて、多くの人が連想するのは五章十六から十八節の「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」という箇所ではないだろうか。この箇所はよく引用され、標語として家の中に飾ってあることもあるだろう。では、この命令はこの手紙の中で、どのように位置づけられているのだろうか。

 この手紙は三章の終わりで、半分に区切ることができる。そして、前半と後半の二つの段落は、一章三節にある「信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐」という三つのキーワード、キーフレーズでまとめることができる。これらのうちの最初の二つのキーワードは、一つのセットとして見ることができる。このことは、信仰と愛という二つのキーワードが、三章六節や五章八節で一緒に出てきていることから分かる。よって、テサロニケ人への手紙第一の前半(1:1-3:13)は「信仰の働き」と「愛の労苦」について、後半(4:1-5:28)は「主イエス・キリストへの望みの忍耐」について書かれているのである。

 また、このように見てきた三つのキーワードは「主の日」というこの手紙を貫く主題によって、まとめることができる。パウロは手紙の前半で、主の日が来るまでの苦闘の中における、テサロニケの教会の福音を宣べ伝える信仰の働き、また、互いの間にある愛について、ほめ、また、励ましている。また、後半では、主の日の望み、救いの望みを持って、「神を喜ばす」「聖なる」歩みをするように勧めている。

 五章十六から十八節の三つの命令は、この後半の主の日に備える歩みについての勧告の箇所に含まれているのである。つまり、常に喜び、絶えず祈り、すべての事について感謝している、ということは、主の日、また、主の日の前に来る苦闘に対処する方法の一つである、と言うことができよう。また、パウロは、あなたがたは「光の子ども」であるので主の日に備えて目を覚ましているように、と勧めている。つまり、主の日がいつ来ても良いように、「いつも」「絶えず」「すべての事について」、喜び、祈り、感謝していなければならない、と言うことである。

 このように、パウロがこの手紙の中で勧めている、喜びと祈りと感謝というのは、主の日を目前に控えたテサロニケの教会が、その前に来る苦しみに対処するために知っておかなければならない秘訣の一つである、ということができるだろう。また、この三つは「キリスト・イエスにあって神が」望んでおられることであるので、テサロニケの教会がしなければならないことであり、同時に、テサロニケの教会のみならず、すべてのクリスチャンが守るべき命令なのである(5:16-18)。

-- Koh Aoki