Subject:
テサロニケ人への手紙第一「聖なる者となる」
From:
Shinya Daniel Kanno
Date:
2010/03/04 7:31
To:
Saiwainet

「聖なる者となる」 菅野審也 2010.03.04

テサロニケ人への手紙第一においてもパウロの二度の祈りが全体をまとめるかの
ような形になっている(3:11-13, 5:23-24)。パウロはその両方の祈りの中で共通
して、テサロニケの教会が、「聖なる者となり、責められるところのない者とな
る」ことを神に願っているが、この手紙から「聖なる者となる」ことについて何
を教えられるのか。聖なる者としての歩み方は何なのか。

テサロニケ人への手紙第一は全体を大きく二つに分けることができ、どちらの段
落もパウロの祈りで終わっている。前半では、特に、テサロニケが模範としてき
たことについて、後半では、その教会が主の日にはどのように歩むべきなのかが
教えられている。

以前は偶像に仕える者たちであったテサロニケにも、パウロたちによって激しい
苦闘の中にあって、昼も夜も働きながら、大胆に神の福音が宣べ伝えられた。そ
の福音を聖霊による喜びをもって、人間のことばとしてではなく、神のことばと
して受け入れたことによって、彼らはパウロと主とにならう者とされ(1:6)、ユ
ダヤのキリスト・イエスにある神の諸教会にならう者となり(2:14)、パウロたち
の愛する者となった(2:8)。

パウロはその愛する者たちに対して主の日にどうあるべきかを勧めをし、おごそ
かに命じている。このことについては特に後半で説明されている。すなわち、彼
らが互いに愛し合い(4:9)、互いに慰め合い(4:18)、互いに励まし合い、互いに
徳を高め合って(5:11)、互いの間の平和を保つことである(5:13)。また、いつも
喜び、絶えず祈って、すべての事について主イエスに感謝する(5:16-18)。これ
がテサロニケの教会に求められている聖なる者としての歩み方であり、神のみこ
ころなのではないか。

-- Shinya Daniel@KannoFamily  mailto:+shinya@kanno.com :)