Subject:
テサロニケ人への手紙「パウロのテサロニケに対する愛」
From:
Mikuni Kanno
Date:
2010/03/04 9:25
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

テサロニケ人への手紙「パウロのテサロニケに対する愛」 2010.3.4 菅野みくに

 パウロはテサロニケ人の教会の信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こし、彼らがマケドニヤとアカヤを始めすべての信者の模範になったことを喜んでいる。パウロは苦しみの中にあっても、神の福音を大胆にテサロニケ人の教会に語り、それが教会の模範となった。では、パウロはどのように教会を教え、導いたのか。

 パウロとテサロニケは主に二つの関係で表せる。一つは母と子、もう一つは父と子の関係である。パウロは母が子どもたちを養い育てるように、テサロニケに優しくふるまい(2:7)、父が子どもに対してするように、勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じた(2:11-12)。それは、パウロがテサロニケを愛し、自分の命までも与えたいと思ったからである(2:8)。

テサロニケはその愛に答えて、神の言葉を受け入れ、パウロの模範にならう者となった(1:6,2:13)。そして今度はテサロニケがマケドニヤとアカヤの模範になっている。パウロはこのことを神に感謝しており、テサロニケが自分の望み、喜び、誇りの冠であることを伝えている(2:19,20)。

それゆえ、パウロは何度もテサロニケに行きたいと願っている(2:17,3:6,10,11)。それによって信仰の不足を補えるからである。しかし、テモテを遣わしたことによって、テサロニケの信仰と愛について良い知らせが聞けたことを非常に喜んでいる。

 パウロが激しい苦しみと患難の中にあったとき、テサロニケは慰めとなった(3:7)。最初パウロがテサロニケに神の福音を大胆に述べ伝えた時も同じ状況であった(2:2)。さらに彼は福音を述べ伝えながらも、だれにも負担をかけないように昼も夜も働いていた(2:9)。なぜパウロはこんなに苦労しても大胆に神の福音を述べ伝えることが出来るのか。それは彼が人を喜ばせようとしてではなく、神を喜ばせようとして語っているからである(2:4)。

このような苦しみの中にあっても、パウロはテサロニケのことを神に感謝し、いつも祈っている。これはパウロの母親としての愛である。彼はまさしく「愛の労苦」をしている(1:3)。