Subject: テサロニケ人への手紙第一「聖なる者となる」 |
From: Shinya Daniel Kanno |
Date: 2010/03/04 12:43 |
To: Saiwainet |
「聖く、責められるところのない者となる」 菅野審也 2010.03.04 テサロニケ人への手紙第一では、パウロの二つの祈りが全体をまとめ形となって いる(3:11-13, 5:23-24)。パウロはそれらの祈りの中で共通して、テサロニケの 教会が、「聖なる者となり、責められるところのない者となる」ことを神に願っ ているが、この手紙から教えられる「聖なる者となる」こととは何か。聖なる者 としての聖い歩み方は何なのか。 テサロニケ人への手紙第一は全体を1-3章と4-5章の大きく二つに分けることがで きる。前半では、特に、テサロニケが模範としたことについて。すなわち、パウ ロがどのようにテサロニケに対して行ったのかということ。後半では、その教会 が主の日にはどのような歩み方をするべきなのか、パウロの勧めと命令とが書か れている。 以前は偶像に仕える者たちであったテサロニケにも、パウロたちによって大胆に 神の福音が宣べ伝えられた。彼らがその福音を人間のことばとしてではなく、神 のことばとして受け入れたことによって、彼らはパウロと主とに、またキリス ト・イエスにある神の諸教会にならう者となった(1:6, 2:14)。パウロたちの激 しい苦闘の中にあっても、昼も夜も働き、母がその子に対するように、また父が その子に対するように彼らに接するその姿はテサロニケの模範となった。兄弟で あるテモテを遣わして彼らの信仰について知ろうとしたパウロは、テサロニケが パウロを模範としていること、それだけでなく、テサロニケが他の教会の模範と なっていることを知って、パウロは慰めを受け、神に感謝している。 パウロはその愛する者たちに対して主の日にどうあるべきかを後半で説明してい る。すなわち、彼らが主の日に望みのない人のように悲しみに沈むことなく、イ エスが復活させられたように、私たちも復活させられることを信じて、落ち着い た生活をするということである。具体的には、信仰と愛を胸当てとして着け、救 いの望みをかぶととしてかぶって、いつも喜び、絶えず祈って、すべての事につ いて感謝するということである。このように歩むことはキリスト・イエスにあっ て神が望んでおられることである。 テサロニケは神から直接教えられたと言われているように、互いに愛し合うこと (4:9)、また、互いに慰め合い(4:18)、互いに励まし合い(5:11)、互いに徳を高 め合い(5:11)、互いに平和を保って(5:13)、互いにいつも善を行うこと(5:15)、 これがテサロニケの教会に求められている聖なる者としての歩み方であり、神の みこころである。-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)