Subject:
2テサロニケ人への手紙:「永遠の慰め、永遠の滅び」
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/03/09 10:28
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

「永遠の慰め、永遠の滅び」

1テサロニケ人への手紙に続き、この手紙においても、パウロは主の日についてテサロニケ教会に書き送っている。では、なぜ彼らに主の日についての手紙を送る必要があったのか?何が問題となっていたのだろうか?

この手紙からまず分かるのは、主の日とは「主の正しいさばきの日(1:5)」でもある、ということだ。ここで注目すべきなのは、そのさばきが「正しい」という点である。なぜなら、このさばきによって与えられる報いは、悪者への苦しみだけでなく、正しい者にとっては報いとして安息が与えられるという事も含まれているからである。それゆえ、パウロもテサロニケ教会も、正しいさばきがなされる事を待つ間、苦しめる者から迫害を受けていたが(1:4)、その正しいさばきが行われる事をすばらしい望み、そして、パウロが2章16節で言っている通り「永遠の慰め」としていた。また、それにより、彼らの信仰は苦しみの中にあってさらに堅いものとなったのである。

では、正しい者たちにとって主の日が望みであるのならば、苦しめる者たちにとってはどのようなものなのだろうか?主の日にはキリストが御使いたちと共に来られる。しかし、その前に「不法の人(2:3-12)」と呼ばれる「滅びの子(2:3)」が現れるのだ、ということが2章から分かる。彼らは、自分こそ神であると宣言し、人々を惑わし、悪の欺きを行う。これによって、キリストを信じなかった人々は(2:10-11)滅ぼされる事となってしまうのである。彼らは真理を信ぜず、悪を喜んで、偽りを信じたためにさばかれるのである。彼らにとって主の日とは、永遠の滅びの刑罰の日である。これは、主の日が正しい者たちにとって「永遠の慰め」である事の全く反対である。

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