Subject:
テサロニケ人への手紙における「主の日」に向けて「自分の手で働く」ことの意味
From:
"keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com>
Date:
2010/03/09 11:08
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

+ケイヤです。

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テサロニケ人への手紙における「主の日」に向けて「自分の手で働く」ことの意味

パウロはテサロニケの教会に手紙を送っているが、中心的な問題となっているのは、主の日が近づいていることである。もう既に主の日が来たと言っている者たちも表れていたが、パウロは、まだ来てはいないけれども、近づいていることを警告し、備えるように命じている。その中で、特に第二テサロニケにおいて、自分の手で働くことを命じている。主の日はさばきの日であるので、それに備え、正しい生活をすることは望ましい。ただ、弱い者を助けること等ではなく、パンのために自分の手で働くことが強調さているのはなぜか。

パンのために働くことは、パウロが「主イエス・キリストの御名によって命じる」ほどの重要、かつ大きなことである。彼らは「締まりのない歩み方」をしていると責められ、「静かに仕事をし」、「たゆむことなく善を行うように命じられている」。ただし、それ以上のことは、テサロニケの手紙からははっきりしない。ただし、この箇所にあるキーワードを中心に他の箇所を見ると、新たなことが分かってくる。

同じように主の日について書き送り、善を行うように命じている第一ペテロでは、迫害の中で、善を行い、それによって、慎み深く弁明できるようにと命じられている。これは第一テサロニケ4:12の「外の人々に対してもりっぱにふるまう」ことに繋がる。また、第一ペテロ4:7からの箇所では、主の日が近づいているので、「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい」と命令されている。これはテサロニケの教会が実施していたことであり、パウロにほめられていることである。

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