Subject:
テサロニケ人への手紙第二「主の日」
From:
Mikuni Kanno
Date:
2010/03/10 7:40
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

テサロニケ人への手紙第二「主の日」 2010.3.10 菅野みくに

パウロはテサロニケ人の教会に、主の日が来ることについて、警告の手紙を書いている。テサロニケは迫害と苦しみの中にあり、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、だまされそうになっている。では、パウロは主の日についてどのように教えているのか。主の日とはどのような日なのか。

主の日は、主イエス・キリストが再び来られる時であり(2:1)、炎の中に御使いたちを従えて天から現れるときである(1:7)。主の日が来るときには、まず不法の人が現れる。彼らは神に逆らい、自分たちが神であることを宣言する。これはサタンの働き、偽りの力によるものである(2:3-12)。

そのときに、神を知らない人々、すなわち、キリストを信じない人々には、永遠の滅びと刑罰という報いが与えられる(1:8-9)。つまり、彼らはさばきを受ける。なぜなら、彼らは真理を信じないで偽りを信じ、悪を喜んでいたからである(1:9-12)。

しかし、キリストを信じる聖徒たちには、安息という報いが与えられる(1:7)。これこそが正しいさばきである。キリストは聖徒たちによって栄光をお受けになり、同じように聖徒である私たちも栄光を受けるのである(1:10,12)。なぜなら、神様が御霊による聖めと、真理による信仰によって、私たちを選んでくださったからである。そこでパウロは「どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし...」と祈っている(1:11)。

今、教会は迫害と患難の中にあって苦しんでいるが、この苦しみは教会を「神の国にふさわしい者」とするためである。このような苦しみに耐えるためにも、パウロは自分の模範にならうように命じている。つまり、自分の手で仕事をし、締まりのある歩み方をすることである。このことは3章で繰り返し命じられている。

突然来る主の日に備えるためには、テサロニケ人の教会が現に実行しているように、互いに愛し合わなければならない(1:3)。なぜなら、神様が私たちを愛してくださったからである(2:13,16)。神様は私たちに永遠の慰めと望みとを与えて(2:16)、どんなばあいにも、いつも私たちとともにいてくださる(3:16)。そこでパウロは「どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。」と祈っている(3:5)。