Subject:
<主の日への備え>
From:
Kento Aoki
Date:
2010/03/10 9:21
To:
saiwainet

<主の日への備え>

 テサロニケ人への手紙には「主の日」が何度か登場する。聖書の他の様々な箇所に基づいて考えれば、この「主の日」はAD70年のエルサレム陥落について書かれている事が分かる。だが、当然「AD70年に終わった出来事についての手紙だから現代の我々には関係無い」という訳は決してないだろう。そこで、我々にとって「主の日」への備えとは何なのかという観点から、この手紙の「主の日」について考えてみた。
 「主の日」が最初に出てくる第一テサロニケ5章では「主の日」が来るのは突然だが「その日が、盗人のようにあなたがたを襲うこと」はなく(5:4)、その日私たちは御怒りでは無く「救いを得る」(5:9)事が書かれている。
 第二テサロニケにある「主の日」についての説明も「主の日」に「心を騒がせるな」(2:2)、「悪を喜ぶすべての者がさばかれる」(2:12)、「あなたがたは救いに選ばれた」(2:13)といったように基本的に第一テサロニケと同じである。
 主の日について書かれていることは大きく二つにまとめられるだろう。一つは「主の日」に行われる裁きと、二つ目は「主の日」がテサロニケの教会にとって救いの日となるということだ。
 これらの内容は「御心が地上で行われるように」、「私たちが悪から救われるように」と「主の祈り」にそのまま登場しており、キリストが私たちに祈るように命じられた「主の祈り」が「主の日」と関係のある祈りであることが分かる。さらに、主の祈りには「試みに会わせないで、悪から・・」という節があり、この手紙でも直接「主の日」への備えとして「兄弟愛と平和を保たなければならない」と出てくる(第一テサ5:12-22)したがって、私たちにとって一番身近で具体的な主の日への備えとは、「主の祈り」をささげることであるといえよう。