Subject:
テサロニケ人への手紙第二-締りのない歩み
From:
Koh Aoki
Date:
2010/03/10 19:27
To:
Saiwainet

テサロニケ人への手紙第二-締りのない歩み

 「働かざるもの喰うべからず。」この諺は誰もが、どこかで聞いたことがあるだろう。だが、この諺が聖書に起源を持つ、ということを知っている人はどれほどいるだろうか。そうなのだ。この諺は新約聖書の手紙の一つであるテサロニケ人への手紙第二の三章十節から派生してきたものなのである。では、もともとその手紙において、この命令はどのような意味を持っていたのだろうか。なぜ、筆者はこのような命令をしたのだろうか。

 そのことについて考える時、まず、テサロニケの教会の問題について考えなければならない。なぜなら、筆者が命令を与えるということは、当然何らかの理由があるはずだからである。この手紙には「主の日」、「主イエスは来られ」る、などの主の日に関連する言葉が繰り返し登場する。筆者パウロはその主の日が来るのは、不法の人の到来後である、ということをはっきりとテサロニケの教会に告げている(2:3-12)。そして、彼は彼らに、主の日が到来したかのように言われるのを聞いて混乱せず(2:2)、自分たちの教えた言葉、言い伝えを守るように(2:15)、と命じている。つまり、筆者がこの手紙を送っているのは、テサロニケの教会が主の日を目前に控えているからである、ということができよう。

 では、三章十節の命令とこの問題にはどのような関係があるのだろうか。三章六節からの箇所を見る時、パウロの伝えた教えに従わず、「締りのない歩み方」をしている者たちがテサロニケの教会の中にいたことが分かる。パウロが彼らに直接、「働きたくない者は食べるな」と命令した、ということが三章十節に書かれている。にもかかわらず、彼らは「何も仕事をせず」、「人のパンをただで食べ」ていたのである。つまり、主の日を控えて彼らは、パウロの言い伝えと模範とに従っていなかったのである。そこで、パウロは再度この手紙において、彼らに自分たちを見習い、自分で仕事をし、自分で得たパンを食べるように、と勧めたのである。

 要するに、主の日に備えて、教会の中にいる兄弟たちがあらゆる善行に進み、成長することができるように、パウロはこの命令を書き送ったのである。言い換えれば、彼らが教会全体として、ますます「神の国にふさわしい者」となることができるための命令であった、ということになる。


-- Koh Aoki