Subject:
ヤコブの手紙「試練に耐える」
From:
Mikuni Kanno
Date:
2010/03/17 7:31
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

ヤコブの手紙「試練に耐える」 2010.3.17

 ヤコブは国外に散っている十二部族に手紙を送っている。彼は導入の所で、信仰の試練に会うときに喜ぶように、また、苦しみを耐え忍ぶように命じている。それでは、なぜ試練に耐えなければならないのか。耐えたときにはどのような報いが与えられるのか。

試練に会うときには喜びと思わなければならない。なぜなら、信仰が試されることによって忍耐が生じるからである。その忍耐を完全に働かせると、完全な者になる(1:2-4)。では、何を耐え忍ぶのか。それは迫害や誘惑である。誘惑するものは「悪魔」とも呼ばれており、ヤコブはその悪魔に立ち向かい、神に近づくように命じている(4:7-8)。ヤコブの手紙では、外からの敵ではなく、自分たちの中にいる敵、悪い者について取り扱っている。

では、なぜ試練に耐えなければならないのか。それは、主が来られるとき、さばきの時が近づいているからである(5:1-9)。この試練を耐え抜くとき、そして神様に良しと認められた人は、約束されていたいのちの冠を受けることが出来る(1:12)。

試練に耐える人が「幸い」であるという言い方は2回出てくる(1:12,5:11)。この言い方を見るときに、山上の説教でキリストが言われた「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」という箇所を連想する(マタイ福音書5:10-12)。迫害されている人に報いとして、御国が与えられるように、ヤコブの手紙でも「御国を相続する者とされた」と貧しい人に対しての報いが約束されている。

ヤコブは苦しみと忍耐については、預言者たちを模範にするように命じている。その中でも特に例として挙げられているのが、ヨブである。ヨブは非常に大きな苦しみを耐え忍び、その結果神様は彼に祝福を与えられた。私たちは主が彼になさったこと、主がどんなにあわれみに満ちておられるお方であるかを聖書を通して知っている。ヨブについて3回(ヨブ記1:1,8,2:3)も使われている「潔白(08535)」という言葉は、ヘブル語で「完全」という意味であって、これを見るときにヨブはまさしく、ヤコブ1章4節に書かれている「完全な者」であったことが分かる。彼は苦しみを耐え忍び、その結果何一つ欠けたところのない、成長を遂げた完全な者になったのである。

 このようにヤコブはこの手紙によって、十二部族に試練に耐える知恵を教えている。何一つ欠けたところのない完全な者になるには、知恵が欠けていてはいけない(1:5)。その知恵とは、純真、平和、寛容、温順、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものである(3:17)。これらの知恵を持って、主が来られるときまで耐え忍ばなければならない。