Subject: ヤコブの手紙:「試練と誘惑」 |
From: Miwaza Jemimah |
Date: 2010/03/17 8:10 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
- 導入 この手紙はヤコブが国外に散っている十二部族に対して書き送ったものである。手紙の始まりで、ヤコブが「試練」について言及している事からも分かるように、彼らは試練の中にいた。それゆえ、ヤコブは試練に対する対処についてこの手紙を通して教えている。では、ヤコブが教えている事とは具体的に何なのだろうか? - 試練(3986)と誘惑(3985) 「試練 (Strongs: 3986)」という言葉自体は2回使われているのだが(1:2, 12)、原語を読むと日本語で「誘惑 (Strongs: 3985) (1:13, 14)」と訳されている言葉もほとんど同じ意味である事が分かる。それゆえ1章2節の「試練に会う時には...」という言い方も、1章13節の「誘惑に会った時...」という言い方も、同じ時の事を指しているのだ。 - 「試練に会う時には...(1:2)」/ 「誘惑に会った時に...(1:13)」 1 章2節で「試練に会う時には...」と教えられているのは、その試練を喜びと思う、ということである。なぜなら、試練に会う事により信仰が試される、それによって、忍耐が生じるからだ(1:3)。また、その忍耐は最終的に「完全な者」となることに繋がるのである(1:4)。では、1章13節では「誘惑に会った時に...」については何が書かれているのだろうか?その箇所でヤコブは「誘惑に会った時に、神によって誘惑された」と言ってはいけない、と教えている(1:13)。なぜなら、誘惑は人の欲によるものであるからである(1:14)。そのため、「だまされないように(1:16)」とヤコブは書き送っている。つまり、だまされない事という事は、試練の中で忍耐する事なのである。 - 忍耐と完全の関係 では、なぜヤコブは試練の中にある人々に対して、「だまされない事(1:16)」や「忍耐する事(1:3-4)」を教えているのだろうか?それは、その忍耐が「完全な者になる事(1:4)」につながり、だまされないことは「完全な賜物(1:17)」によるのだからである。ここまでで「試練」に関連して、「忍耐(5278/1:12, 5:11, 5281/1:3, 4, 5:11)」と「完全(1:4, 17, 25, 3:2)」というキーワードもヤコブの手紙でポイントなっている、ということが分かる。では、これらのキーワードが出てくる箇所から、ヤコブが試練について何を教えているのかを引き続き分析してみる事とする。