Subject:
ヤコブの手紙「試練に耐える」
From:
Mikuni Kanno
Date:
2010/03/20 22:12
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

ヤコブの手紙「試練に耐える」 2010.3.20

ヤコブは国外に散っている十二部族に手紙を送っている。彼は導入の所で、信仰の試練に会うときに喜ぶように、また、苦しみを耐え忍ぶように命じている。それでは、試練とはどのようなものなのか。試練が来たときには何が問題となるのか。また、それを耐えたときにはどのような報いが与えられるのか。

この手紙で特に耐え忍ぶべき試練として取り扱われているのが、主の来られる日、AD70年である(5:7-8)。AD70年のさばきの時は試練が一番厳しくなるときであり、信仰から離れてしまいやすい。また、この日に先立ってやってくるのが悪魔の誘惑である(4:7)。もう一つの誘惑は「自分の欲」である(1:14)。それが原因で兄弟たちの間に戦いや争いが起こってしまう(4:1)。

ヤコブは、試練が来たときに兄弟愛がなくなることを一つの問題として、主に2章で取り扱っている。なぜなら、この手紙を受けている十二部族は貧しい人々を軽蔑し、富んでいる人々をえいこひいきしているからである。神様から与えられる上からの知恵は「えこひいきがない」ものである(3:17)。それでは、兄弟は互いに何をするべきなのか。それは、互いの罪を赦し合い(5:16,20)、互いのために祈ることである(5:16)。この行いと対比されているのが、互いに「悪口を言い合う(4:11)」こと、そして「つぶやき合う(5:9)」ことである。この事から、ヤコブの手紙で取り扱われている敵や悪者は、外部の者ではなく内部の者、若しくは自分となっている事が分かる。

試練に会ったときには、喜ぶように命じられている。なぜなら、信仰が試されることによって忍耐が生じるからである。その忍耐を完全に働かせると、完全な者になる(1:2-4)。試練を耐え抜いて、神様に良しと認められた人は、「いのちの冠」という約束の祝福を受けることが出来る(1:12)。この手紙で同じく約束されているものは、2章5節に書かれているように「御国を相続すること」である。

ヤコブは苦しみと忍耐については、預言者たちを模範にするように命じている。その中でも特に例として挙げられているのが、ヨブである。ヨブは子らの死、友人の謗り、病、神様との関係の悪化などの非常に大きな苦しみを耐え忍び、その結果神様は彼を元通りにし、祝福を与えられた。私たちは主が彼になさったこと、主がどんなにあわれみに満ちておられるお方であるかを聖書を通して知っている(5:11)。ヨブについて3回(ヨブ記1:1,8,2:3)も使われている「潔白(08535)」という言葉は、ヘブル語で「完全」という意味であって、これを見るときにヨブはまさしく、ヤコブ1章4節に書かれている「完全な者」であったことが分かる。彼は苦しみを耐え忍び、その結果何一つ欠けたところのない、成長を遂げた完全な者になったのである。

このようにヤコブはこの手紙によって、十二部族に試練に耐える知恵を教えている。完全な者になるには、知恵が欠けていてはいけない(1:5)。その知恵とは、「純真、平和、寛容、温順、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないもの(3:17)」である。つまり、神様との平和、兄弟との平和を保たなければならず、これらの知恵を持って、主が来られるときまで耐え忍ばなければならない。