Subject:
ヤコブの手紙:「ヤコブの手紙を通して見るヨブのストーリー」
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/03/24 19:01
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

ヤコブはこの手紙で国外に散っている十二部族に対し、苦難と忍耐について教えている。そして、5章10節では「苦難と忍耐については...預言者たちを模範にしなさい。」と命じ、ヨブを具体的な例としてあげている。では、ヤコブの手紙における、ヨブという人物の位置付けは何なのか?ヤコブがヨブのストーリーを通して教えた「苦難と忍耐(1:2-4)」とは何なのだろうか?

- 潔白な人ヨブの会った試練

ヨブとは旧約聖書に出てくる人物であり、ウツと言う地の者であり、神様自らが「潔白(ヨブ記1:1, 8,
2:3)」と呼ぶほどの者であった。また、彼は富豪(「東の人々の中で一番の富豪であった」ヨブ記1:3)であり、子どもたちと多くの財産を持っていた。しかし、サタンが彼を試みようと、彼の子らを災いで死なせた(4:5)。また、ヨブ自身も酷い病に掛かった。その中で、妻はヨブに神様を呪って死ぬように、と言い、友たちも彼に間違った助言を与えた。それほどまでの苦しみを受けたヨブであったが、彼が信仰を捨てる事はなかった。かえって、この試練を主に信頼して耐え忍んだことにより、神様は彼の病を癒し、子どもたちも財産ももう一度与えてくださったのだ。そして、友人たちもまた彼のもとに戻ってきた。主は「ヨブの前の半生よりもあとの半生をもっと祝福された。(ヨブ記42:12)」と言われている通りである。

- 試練を通してさらに完全な者とされたヨブ

このヨブのストーリーを見ると、これがまさにヤコブで言われている、人が試練を耐え忍ぶ事によって「完全な者」とされた話である(1:4)、ということが明白だ。興味深いのは、ヨブは試練に合う前から「完全な者」であった、ということだ。ここで使われている「完全(5046)」という言葉は、ヤコブの手紙で使われているものと同じものだが、主御自身がヨブをこの言葉を用いて「完全な者」と呼ばれたのだ。しかし、激しい苦難を耐え忍ぶ事によって、彼はさらに完全な者とされた、ということになる。

- 「完全な者」とはなにか?

では、その「完全」とは具体的に何を指しているのだろうか。それは、ヨブを見ると、それは、富んでいて、子どもたちにも友人たちにも恵まれている者だ、と言える。ヤコブの手紙を読むと、それに加え「知恵(1:5,
3:13, 15, 17)」が「完全な者」について大切なキーワードであることが分かる。実は、ヨブ記にも知恵について言及されている。28章28節でヨブが自分の格言の中で「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。」と言った。つまり、完全な者について、ヨブ記とヤコブの手紙から要約出来る事は、「知恵と家族と財産」に満ちあふれている者だ、ということになる。

- 何一つ欠けたところのない者とされたヨブ

ヨブは試練に合う前から「何一つ欠けたところのない(1:4)」完全な者であったのだが、試練に会った時には家族も持っていた物もすべて失い、人から見れば「すべてに欠けている不完全な者(1:5)」の極みのようにも思われたであろう。しかし、そうではなかった、ヨブはこの試練を通して、「成長を遂げ」、さらに完全な者とされたからである。それは、彼が最後に主から倍の財産を与えられた事からも明白である。

- 試練の中でのヨブと3人の友の関係

ヨブが試練に会った時に訪ねてきた、3人の友人とエリフを見る時に、1章5節で「何一つ欠けたところのない完全な者」の反対としてあげられている「知恵の欠けた人」がどのようなものであるのか、ということも具体的に分かる。ヨブの友人たちは彼の試練について聞いて、彼を慰めるために訪ねてきたのだが(ヨブ記2:11)、結局は、ヨブに対し、酷い苦しみの原因は彼の罪である、と責める事となってしまった(エリファズの発言:「だが、今これがあなたにふりかかると、あなたは、これに耐えられない。」ヨブ記4:5)。それゆえ、神様は最後に彼らについて「わたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかった。(ヨブ記42:8)」と言い、ヨブが彼のためにいけにえをささげて祈るようにされた(ヨブ記42:7-10)。

- ヤコブの手紙における「富んでいる人」とは

ヨブとヤコブの手紙において、もう一つ共通しているキーワードがある。それは、「富んでいる人・金持ち」だ。このキーワードがこの手紙の中に5回も出ているのを見ると(1:10,
11, 2:5, 6, 5:1)、ヨブも「富豪」だったと言われている事を思い出すであろう(ヨブ記1:3)。しかし、ヤコブの手紙で「富んでいる人」について言われているのは、「過ぎ去るもの(1:10)」であるとか、「消え去るもの(1:11)」であるということ、そして、「虐げるものは富んでいる人だ(2:6)」というような事が書かれているのだ。しかし、ヨブは完全な者であった、と言われているのだから、これらのことは決して当てはまらないはずだ。しかし、ヤコブで言及されている者もヨブも同じく「富む者」と呼ばれている(ヨブ記1:3)。

- 真の富豪とされたヨブ

では、ヨブはどのような意味で「富む者」だったのだろうか。ヤコブで言われている「富む者」とヨブとの違いは何なのだろうか。ヨブは「虐げる者」でなかったのは明白であるが、むしろ、彼は2章5節で言われている「神を愛する者」、「御国を相続する者」といった「貧しい人」のように思える。確かにそうである。彼は、実際に多くの財産を持つ富豪であったのだが、同時に「信仰にも富む者」でもあったのだ。それゆえ、彼はこの手紙で富んでいる人たちに命じられている通り「自分が低くされる事に誇りを持った」のである。彼は、家族とすべての財産、そして友人を失い、酷い病に冒されるという試練によって一度低くされ、実際に貧しい人となった。しかし、彼はそのような苦難を耐え忍ぶ事を通して、真の富豪となったのだと言えるだろう。