Subject:
ヤコブの手紙-書かれた理由
From:
Koh Aoki
Date:
2010/04/03 15:06
To:
Saiwainet

ヤコブの手紙-書かれた理由

 ヤコブの手紙は「神と主イエス・キリストのしもべヤコブ」から、国外に散っている十二の部族に宛てて書かれた手紙である(1:1)。このように、この手紙は特定の教会に宛てて書かれているわけではないので、この手紙の中には相手の教会の特徴的な問題というものが含まれていない。しかし、すべての手紙にはその書かれた理由が当然あるべきものである。では、この手紙が書かれた理由とは何なのだろうか。

 そのことを見るために、この手紙の本文で注意されていること、命令されていることについて一章から順に見てみよう。まず、一章では、試練、誘惑を受けた時に耐えることと、みことばを聞いて実行することについて命じられている。次にヤコブは、えこひいきのあるさばき、行いについて注意し、信仰には行いが伴うものである、ということを説明する。その後、手紙の後半に入ると、舌の実について話し、争いではなく、平和を作るように命じている。そして、最後に互いに裁き合うのではなく、互いに祈り合うようにと励ましてこの手紙を終えている。このようにこの手紙には、山上の説教のように豊富な内容が書かれており、内容にも山上の説教に類似した箇所がいくつも出てくる。

 では、これらの内容はどのようにまとめることができるのだろうか。これらの内容は、山上の説教と同時に、もう一つのキリストの教えにも似ている。それはマタイ24章の終わりの日についての教えである。具体的には、試練の時の忍耐(ヤコブ1:2-4,12,5:7-8,11⇔マタイ24:13)、迫害(ヤコブ2:6,5:6⇔マタイ24:9)、争い・戦い(ヤコブ3:13-4:3,4:11,5:9⇔マタイ24:7,10)、偽預言者・偽の教え(ヤコブ1:16⇔マタイ24:11,24)というような共通点がある。つまり、このヤコブの手紙は終わりの日に備えて、ヤコブが書いている勧めの手紙であるということができる。テサロニケ人への手紙などにも出てくることではあるが、ヤコブは散っている主にある自分の兄弟たちが、試練に会うときに完全な者となることができるように、この手紙で教え、励ましているのである(1:2-4,
cf.Ⅰテサロニケ3:11-13,5:23)。

 よって、ヤコブがこの手紙で伝えようとしていることは、山上の説教の箇所を引用して次のようにまとめることができるだろう。「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」つまり、ヤコブは終わりの日が来ることをキリストの教えを通して知っているので、このメッセージを兄弟たちに伝えたのである。しかし、「終わりの日」が来ることが理由になって書かれている手紙は他にもあるので、この手紙の特徴についても考えなければならない、ということは確かである。


-- Koh Aoki