Subject:
「信仰の行ない」
From:
"megumi@kanno.com" <megumi@kanno.com>
Date:
2010/04/09 10:32
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

「信仰の行ない」
ヤコブの手紙④の中での信仰という言葉は8回出て来ている。なぜ、信仰には行ないが必要なのか。何によって、義と認められるのか。ヤコブは信仰の行ないについて兄弟たちに言っているが、結局何を言っているのか。

信仰は行いがなければ死んだものであることを違う言い方で表している。口だけで言っていても行いがなければ役に立たない。(④:15-16)たましいを離れたからだも死んだものである。(④:26)だから、信仰には行ないがなければならないことがわかる。

④で、信仰の行いによって義と認められている人がいる。それは、アブラハムと遊女ラハブである。アブラハムは自分のたった一人の子を祭壇にささげたときに、信仰の行ないによって、義と認められた。遊女ラハブは使者たちを招き入れ、別の道から送り出したときに、信仰の行ないによって義と認められた。信仰だけで、義と認められるのではないことがわかる。

ヤコブは信仰には行いがなければならないということを、④:14-26の中で長く説明されている。結局、兄弟たちにヤコブは行ないのある信仰を持ちなさいと言っている。手紙の中で信仰の行ないについて、ヤコブ以外の書物でも説明されている。