Subject:
ヤコブの手紙における「貧しい者のさばき」
From:
"keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com>
Date:
2010/04/09 11:06
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

+ケイヤです。

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ヤコブの手紙において、この世の富を持つ者と、持たない者の対比は重要な役割をしめており、手紙を受け取った兄弟たちの大きな問題のひとつになっている。彼らはお互いをさばきあったり、富む者にえこひいきして、さばきを曲げることなどしていた。なぜ、これが問題となり、赦されることではないのか。

貧しい者を義しくさばくべきであるという理由は、きわめて単純である。それは、神によって命じられていることであり、律法の中心的な部分だということである。神は貧しい者を顧みて、信仰で富ませ、この世のいのちではなく、永遠のいのち、御国を与えてくださった。この神の与えられた律法を聞いて、実行する人は、具体的に貧しい者たちを助けることになる。えこひいきするのであれば、律法に違反することになる。最終的には、あわれみのないさばきをしたために、自分にあわれみのないさばきが戻ってくる。そして、そのさばきが近づいていることが重要である。ヤコブが手紙を送ったのも、他の手紙と同じく、主のさばきの日が近づいているためである。そのさばきに備えるように命じているのがこの手紙である。

主イエス・キリストは「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言って、主の日が近づいていることを伝え、宣教の働きをされた。その中心にあるのは山上の説教であり、御国に入れる者になるように教えている。その説教の始まりは「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」である。ヤコブの手紙は、山上の説教と多くの点で似ているが、山上の説教においても、心の貧しい者の幸いが説かれているのである。

このように、主の日に備え、兄弟が互いに愛し合うことは、主の日が近づいている中で重要であり、御国を相続する者となるために、貧しい兄弟を助けて、主の前では、自分が貧しい者であることを認めなければならないのである。

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