Subject:
テトス:「健全な教え」
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/04/15 8:04
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

パウロはテトスに送ったこの手紙において、長老たち、老人たちや若い人々、そして奴隷等、具体的な対象を設定したうえで、彼らのあるべき姿について実に約45個もの項目(重複有り)をもって命令している。それらのリストの中でも特に「教え」に関することについて分析してみようと思う。なぜなら、この手紙においてパウロは「正しい教え」について教えているだけでなく、1章10-16節や3章3節、そして、3章9-10節等において不信仰な人々の悪い行いもリストしていることからもわかるように、悪い教えや無駄な論争などから惑わされないように、ということも教えているからだ。パウロがこの手紙を通して教えた「教え」とは何なのだろうか?

「教え(1319)」という言葉はテトスにおいて4度使われている。そのうちの2回は「健全(5198)」という言葉も一緒に使われている。1章9節が「健全な教え」というキーワードが使われている最初の箇所なのだが、長老たちと監督といった、教会のリーダーに対する命令の一つとして言及されている。この箇所から特に明らかになるのは、「健全な教え」が人を励ますためにも、また、正すためにも用いられるということである。教会のリーダーたちの働きとは、教会の人々を導くことなので、彼らが健全な教えをするためには、まず自分が正しい行いをしている、つまり、正しい教えを実行している必要がある。それゆえ、6-9節で非難されるところがないものとなるように等の具体的な命令がされているのである。

「健全な教え」をすることは、パウロがテトスに対して命じていることでもある、という事が2章1節の「しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを話しなさい。」という言い方からも明らかになる。なぜなら、この時問題となっていた事の一つが「間違った教え」だったからだ。この事については1章10-16節に書かれている通りである。不信仰な人々は健全な教えをしないばかりか、教えては行けない事をおしえたり、空想話をしたり、たとえ、口では神を知っているといっても、それに反する行いをしていた。彼らのような者たちが、パウロが1章9節で言っている通り、「健全な教え」によって正されるべきなのである。また、それがテトスにこの手紙を通して命じられていることでもある。

では、1章9節に書かれている「健全な教え」によって励まされる者たち、とは誰の事だろうか?それは、2章に書かれている命令の相手ではないだろうか?パウロはテトスに、老人たち、年をとった婦人、若い婦人、若い人々、奴隷に勧めるべき事を細かく指図しているのだが、それらの中でも「教え」について何度か触れられている。まず、年とった婦人に対しては、悪口を言うのではなく「良いことを教える者であるように」と命じられている。また、若い人々に対しては2章7節で「教えにおいて純正であるように」と命じられている。また、奴隷に対する命令の中でも、それらの命令を守るのは「神の教えを崇めるため(2:10)」だ、と書かれている。

2章において非常に細かい教えがされているが、これらの事をテトスが「健全な教え」によって話すようにと命じられている理由は、人々がそれを守ることが「健全な教え」を守る事であり、それによって、この時問題となっていた「教えてはいけないことを教える(1:10)」者たちから守られることにも繋がるからである。また、この命令がされているのは、人々が「良いわざ」を進んで行う者となるためだ、ということも2章1節「あなたは彼らに注意を与えて...すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。(3:1)」や、3章8節「神を信じている人々が良いわざに励むことを心がけるようになるためです。」から明らかになる。

では結局のところ、この「健全な教え」とは何か?その事については、2章11-14節と3章3-9節に書かれている。それらの箇所から「健全な教え」とは「キリストの恵みによる救い」であると要約できるのではないだろうか?パウロもテトスも以前は「愚かな者であり、不従順で、迷った者...(3:3)」であったのだが、キリストの贖ないによって、それらの「不法」から救い出されたのである(2:14)。それゆえ、彼ら自身も「キリストの救い(3:3-8)」という「健全な教え」を話すようになったのだ。パウロがこの手紙を書いた目的は、テトスが長老たちを任命するためだが、それも、任命された長老や監督などの教会のリーダーたちが「健全な教え」によって人々を導くためであった。