Subject:
ピレモンへの手紙「オネシモを迎える」
From:
Shinya Daniel Kanno
Date:
2010/04/21 15:16
To:
Saiwainet

「兄弟愛をもってオネシモを迎え入れる」 菅野審也 2010.04.21

獄中書簡の一つとしても知られるピレモンへの手紙には、キリスト・イエスの囚
人となったパウロから愛する同労者ピレモンへ一つの願いが書かれている。それ
は、獄中で生んだオネシモを愛をもって迎え入れることであるのだが、なぜ、パ
ウロはわざわざ手紙を送ってまでオネシモを迎え入れてくれるように願っている
のか。またピレモン自身にとって彼を迎え入れるとはどのような意味を持つのだ
ろうか。

ピレモンへの手紙には「オネシモを迎えてください」という言い方が二回も出て
きており(1:12, 1:17)、この手紙はパウロがピレモンへ、オネシモを迎え入れる
ことについて願っている手紙であるということがはっきりとしている。
オネシモという人物は「有益」、また「役に立つ」という意味を名前に持ち、コ
ロサイ人への手紙とピレモンへの手紙の二つの手紙の中に登場する。パウロに
とっては、愛する兄弟のような存在であると同時に(コロサイ4:9)、獄中で生ん
だわが子であるとも言われている(1:10)。彼はもともとは名前の意味とは裏腹に
役に立たない者であった。しかし、今はピレモンにとってもパウロにとっても役
に立つ者となった。そこで、パウロは自分自身が力づけられるためにもオネシモ
をピレモンのもとへ送り返そうとしている。

ここで、パウロはピレモンがオネシモを迎え入れるにあたって一つ大きなことを
願っている。それは、彼を奴隷としてではなく、愛する兄弟として受け入れるこ
と(1:16)。パウロを迎えるように、彼を迎えるということである(1:17)。マタイ
の福音書25章の山羊と羊のたとえ話からもわかるように、オネシモを受け入れる
ことはパウロ自身を受け入れることでもあり、それらはすなわちキリストに対す
る愛であり、キリストご自身を受け入れるということである。

この手紙には構造を分析する時に困る箇所が一箇所ある。18-19節の負債につい
ての話である。オネシモを迎えるときにには、ただ単に兄弟愛でというわけには
いかない。実際に目の前に置かれている問題を解決しなければならない。その問
題が負債についてというわけだが、これがどのような問題なのかについては、
ローマ人への手紙13章8節から教えられるのではないだろうか。この箇所では、
負債については愛といっしょに取り扱われている。「だれに対しても、何の借り
もあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。」その
ため、パウロはオネシモのためにピレモンが負った負債については自分に請求す
るようにとも言っている。このような具体的な問題を解決してこそ、本当の兄弟
愛である。

このようなわけで、ピレモンは名前の通り(フィレオ=兄弟愛)、真の兄弟愛を持
つことが求められている。この兄弟愛こそがキリストに対する愛である。

-- Shinya Daniel@KannoFamily  mailto:+shinya@kanno.com :)