Subject: ピレモンへの手紙「オネシモを迎える」 |
From: Shinya Daniel Kanno |
Date: 2010/04/23 9:45 |
To: Saiwainet |
「兄弟愛をもってオネシモを迎える」 菅野審也 2010.04.23 四つある獄中書簡のうちの一つとしても知られるピレモンへの手紙には、キリス ト・イエスの囚人となったパウロから愛する同労者ピレモンへ一つの願いが書か れている。それは、獄中で生んだオネシモを愛をもって迎え入れることであるの だが、なぜ、パウロはわざわざ手紙を送ってまでオネシモを迎え入れてくれるよ うに願っているのか。またピレモン自身にとって彼を迎え入れるとはどのような 意味を持つのだろうか。 ピレモンへの手紙には「オネシモを迎えてください」という言い方が二回も出て きており(1:12, 1:17)、この手紙はパウロがピレモンへ、オネシモを迎え入れる ことについて願っている手紙であるということがはっきりとしている。オネシモ という人物は「有益」、また「役に立つ」という意味を名前に持ち、コロサイ人 への手紙とピレモンへの手紙の二つの手紙の中に登場する。パウロにとっては、 愛する兄弟のような存在であると同時に(コロサイ4:9)、獄中で生んだわが子で あるとも言われている(1:10)。彼はもともとは名前の意味とは裏腹に役に立たな い者であった。しかし、今はピレモンにとってもパウロにとっても役に立つ者と なった。そこで、パウロは自分自身が力づけられるためにもオネシモをピレモン のもとへ送り返そうとしている。 ここで、パウロはピレモンがオネシモを迎え入れるにあたって一つ大きなことを 願っている。それは、彼を奴隷としてではなく、愛する兄弟として受け入れるこ と(1:16)。パウロを迎えるように、彼を迎えるということである(1:17)。マタイ の福音書25章の山羊と羊のたとえ話からもわかるように、オネシモを受け入れる ことはパウロ自身を受け入れることでもあり、それらはすなわちキリストご自身 を受け入れることであって、キリストに対する愛である。もともとピレモンも前 のオネシモのように役に立たない者であったわけだったが、パウロによって変え られた(1:19)。そこで、ピレモンにはこのような働きが与えられている。 この手紙には構造を分析する時に困る箇所が一箇所ある。18-19節の負債につい ての話である。どのような理由でオネシモが負債を負ってしまったのかはわから ないが、何らかの理由でピレモンに対して害を与えてしまった。そこで、パウロ はまず実際に目の前に置かれている問題を解決し なければならない。その問題 を解決しなければ、オネシモを受け入れることにはならない。兄弟を受け入れる ことはただ単に兄弟愛でというだけでは無理であ る。そのため、パウロはロー マ人への手紙13章8節を通して負債の問題がどのような問題であるかのを教えて いるのだが、ここでは負債についてのことと愛の こととがいっしょに取り扱わ れている。「だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに 愛し合うことについては別です。(ローマ 13:8)」私たちが毎日主の祈りの中 で、「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人た ちを赦しました。(マタイ6:12)」 と祈っているとおりでもある。このような具 体的な問題を解決してこそ、本当の兄弟愛である。 このようなわけで、ピレモンはその名前の通り(フィレオ=兄弟愛)、パウロに対 して、またオネシモに対しても真の兄弟愛を持つことが求められている。この兄 弟愛、それがキリストに対する愛である。-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)