Subject:
ヘブル:「メルキゼデクとは誰か?」
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/04/30 6:58
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

メルキゼデクとは何者か?

5章6節に登場するメルキゼデクという人物だが、彼についてはヘブル人への手紙では引き続き、6章から7章にも書かれている。実は、この人はこの書物に8回も出てくるのにも関わらず、旧約聖書では創世記14章の彼が登場するストーリーの一度以外には、聖書に書かれていない、というある種、謎の人物なのだ。詩篇110篇4節にも彼の名前は出てくるのだが、「あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である。」という文脈の中であり、実際に彼がどのような人物であったのか等ははっきりしない。ただ、詩篇110篇においてもヘブル人への手紙においても「メルキゼデクに等しい祭司」という言い方が繰り返されており、実に6回もその言い方がでてくるのだから、彼が大切な登場人物の一人である事は明白である。では、メルキゼデクとは誰なのか?彼は聖書全体のストーリーにおいてどのような役割を果たすものなのか、ヘブル書を通して分析してみる事とする。

アブラハムとメルキゼデクのストーリー

メルキゼデクが最初に登場するのは創世記14章18節であり、これが唯一、実際にメルキゼデクが登場するストーリーである。アブラハムが捕われた甥のロトとその家族を救い出すために、国々の王たちと戦い勝利したとき、シャレムの王メルキゼデクの元へ行き、彼から祝福を受けた。そして、アブラハムも自分のすべてのものから十分の一をメルキゼデクにささげた。このストーリーにおいて興味深いのは、ここでアブラハムを祝福するためにメルキゼデクが「パンとぶどう酒」を持ってきた、と明らかに聖餐式を連想させることが書かれている、ということである。アブラハムは十分の一の献金を捧げたばかりでなく、パンとぶどう酒という聖餐式の食事をもって祝福を受けたのである。

いと高き神の祭司メルキゼデク

なぜ、このようなことをメルキゼデクが行ったのだろうか?彼は創世記14章18節にある通り「いと高き神の祭司」であったのだが、この時代にはまだ礼拝制度に関する具体的な教えはまだ与えられていなかったはずだ。アロンもモーセもヨセフの後の時代の人々であり、「祭司」はまだ任命されていなかった。しかし、「祭司としてのメルキゼデク」はヘブル書に限らず聖書全体のストーリーにおいて大きな役割を果たしている者なのだ。キリストが「メルキゼデクの位に等しい大祭司となられた(5:6,
10, 7:11, 15, 17)」と呼ばれるほどのメルキゼデクとはいったい何者なのだろう?

神の子に似た者メルキゼデク

ヘブル人への手紙によると、メルキゼデクについては「父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく...(7:3)」と書かれている。また、彼は「神の子に似た者」と呼ばれている。彼は、アブラハムから十分の一を受けるほど「偉大な者(7:4)」であったのだ。しかし、彼はレビ族のものでもなく、礼拝制度がはっきりと制定される前の人物だ。

サレムの王メルキゼデク

忘れてはいけないのは、彼は祭司であったばかりではなく、シャレムという場所の王でもあった、ということである。この事は、創世記14章16節から明らかになる。「シャレム」という場所については、ほとんどのユダヤ人の研究者たちが「エルサレム」のことではないかと推測している。「シャレム」という場所は、聖書にもう一度だけ出てくる。詩篇76篇2節で「シャレム」に神の仮庵があった、と書かれている箇所である(「神の仮庵はシャレムにあり、その住まいはシオンにある。」)。この箇所も「シャレム」が「エルサレム」であると言われる要因の一つではないか、と思われる。

永遠の大祭司キリストとメルキゼデク

メルキゼデクとは永遠の大祭司キリストを象徴する者なのである。なぜなら、大祭司であるキリストについて書かれている事とは「朽ちることのない、いのちの力によって祭司となった(7:16)」という事、つまり、メルキゼデクについて「その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく...(7:3)」と言われているのと同じ事である。キリストもメルキゼデクも「永遠の祭司(7:24)」としてヘブルに登場している。しかし、ヘブルのメルキゼデクに関する箇所を見る事によって、メルキゼデクとは何者なのか?ということについての謎は多く残る、ということが明らかになる。