Subject:
ヘブル:「大祭司(祭司)について」
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/05/13 7:07
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

大祭司(祭司)について

大祭司(祭司)であられるキリストについては、ヘブル人への手紙全体を通して語られている。「大祭司」という言葉自体17回も使われているのだ。その中でも、「メルキゼデクに等しい祭司」という言い方が何度か繰り返されている(5:10,
6:20, 7:17)。では、大祭司とはいったいどのような働きをする者であったのか?また、この手紙を通して教えられている大祭司とはどのようなものなのだろうか?

大祭司の働きのはじまり

大祭司という働きは、いつから始まったものか、という問いには二つの答えがあると言えるであろう。一つは、メルキゼデクの時代から、そして、もう一つの答えはモーセの時代から、である。しかし、メルキゼデクの祭司としての職は、モーセの時代に与えられた祭司制度を含む、いけにえやその他の礼拝に関する命令等、イスラエルの礼拝制度制定後のものではないのだから、祭司の具体的な働きに関する命令が与えられたのはモーセの時代が始まりだとも言えるのではないだろうか。同時にヘブル人への手紙で、キリストが「メルキゼデクに等しい祭司となられた」と書かれているぐらいのなのだから、イスラエルの祭司制度の起源がメルキゼデクにあるのではないか、とも言えるだろう。

出エジプト記28章における祭司に関する教え

モーセの時代に与えられていた祭司制度に関する具体的な命令が初めてされたのは、出エジプト記28章である。この箇所の前から、イスラエルの中に祭司というものが存在していたことは明白であるが、命令の詳細は28章に書かれている。まず始めに、主はイスラエル人の中からアロンとその子らを選び、彼らを聖別して、祭司として任命するように命じられた。また、28章では祭司の装束に関する命令が非常に細かく書かれている。なぜなら、彼ら祭司の務めとは、神の宮で使えることだからである。それゆえ、彼らの着ている装束のどんなに細かい部分であっても、何かの意味があるものとして、神様は命じられた。これらはすべて「聖なる装束(申命記28:2)」と呼ばれるていることからもわかる通り、祭司とは服においてのみならず、その働き全部を通して神様の聖さを表すものなのだ。これらのことからも、祭司という務めにおけるキーワードは「聖」だと言えるのではないだろうか。なぜなら、彼らは「主への聖なるもの(申命記28:36)」だからである。それは「聖別の記章」とも呼ばれており、祭司たちはかぶりものにそれをつけていた。

なぜ「アロンに等しい祭司」なのか?

祭司という職務は、王と同じで、任命されるにあたって油を注がれて任命される、という働きである。それゆえ、アロンもその子らも、油を注がれてこの特別な働きを与えられたのである。この任命とは出エジプト記29章では「永遠のおきてによる任命」と呼ばれている。では、なぜ永遠の大祭司であられるキリストは、「メルキゼデクに等しい祭司」と呼ばれ「アロンに等しい祭司」と言われなかったのだろうか。なぜなら、それは「レビ族の家系の者が祭司となる」というのは”肉”に関する律法であり、朽ちるものだからである。それゆえ、キリストは「いのちの力」によって祭司となり、変わることのない祭司の務めを持たれたのだ。つまり、律法によって立てられた祭司、また、大祭司とは人間であり、罪人であるがために、自分のためにも民の為にもくりかえしいけにえをささげる必要があったが、いのちの力によって任命された方は罪の贖いを全うされたのである。

地上の聖所と完全な幕屋

また、律法によって任命された祭司は、モーセの建てた「地上の聖所(9:1-5)」において礼拝をしていたが、キリストは大祭司として来られたとき、人の手でつくったものではない完全な幕屋を建てられた。また、律法の時代には罪のために、毎日いけにえをささげていたが、キリストが大祭司として罪の贖いを完全にしてくださったことにより、もう何度もいけにえをささげる必要がなくなったのである。大祭司であるキリストが御自分を罪の贖いのためのいけにえとしてささげられたのである。つまり、古い時代における大祭司の役割もそうであったのだが、アロンとその子孫は罪のある人間であったために、完全な贖いをすることはできなかったのである。

キリストによる罪の完全な贖い

私たちの大祭司であるキリストは、神の右の座に座られ、今も、そしてとこしえまでも「真実の幕屋である聖所」で仕えておられるのである。律法による祭司たちは、地上の聖所で毎日礼拝の務めをし、罪を完全には取り除くことのできないいけにえをささげていたのに対し、キリストはただ一度、キリスト御自身という永遠のいけにえをささげられたことにより、罪の赦しを完全にされたのである。また、律法による祭司たちは「死」があったため、多くの者が祭司になる必要があったのだが、キリストはいのちの力により「とこしえの祭司」となってくださったのである。

大祭司キリストがもたらした私たちへの変化

このキリストを大祭司とする新しい祭司制度は私たちにも大きな変化をもたらした。なぜなら、律法の時代にはレビ族の系図にある者たちだけが、聖所において礼拝の務めを行うことが赦されていたのだが、キリストが大祭司となられたことにより、レビ族ではない者たちもみな、クリスチャンはキリストにある祭司となったのである。それゆえ、大祭司だけが年に一度入ることを赦されていた至聖所にも、私たちは大胆に入ることができるようにされたのである(10:19)。これもすべて、キリスト御自身が罪のためのいけにえとして、御自分の血によって贖ってくださったからである。だから、私たちは信仰をもって、神に近づくことができるのである。