Subject:
テモテへの手紙第一「違った教えと敬虔にかなう教え」
From:
Shinya Daniel Kanno
Date:
2010/06/03 6:51
To:
Saiwainet

「敬虔にかなう教えを教える」 菅野審也 2010.06.03

パウロは、信仰による真実のわが子テモテへ手紙を送る中で、彼に一つのお願い
をしている。それは、「ある人たちが違った教えを説いたり、果てしのない空想
話と系図とに心を奪われることがないように命じてください」(1:3-4)というこ
とである。また、それに対して、「主イエス・キリストの健全なことばと敬虔に
かなう教えとを教えるように」(6:3)という願いもある。では、テモテの時代に
問題となっていた「違った教え」とはどのようなものであったのか。逆に、テモ
テが教えるようにと命じられている「敬虔にかなう教え」とは何なのだろうか。

テモテにはエペソでの働きが与えられているわけだが、その中で多くの問題があ
る。その問題の一つとしてあげられているのが、違った教えである(1:3, 6:3)。
この問題となっている違った教えについては、テモテへの手紙第一を囲んでいる
1章と6章から教えられる。同じ違った教えとはいえ、それぞれ、1章と6章では少
しずつ意味が違う。1章における違った教えとは、正しさに対する攻撃であり、
律法の教師でありたいと望みながら自分の言っていることを理解していないと言
われているとおり(1:7)、まさに偽善者のようである。それに対して、6章では、
金銭を愛することであったり(6:10)、金持ちになりたがっているなど(6:9)、こ
の世の富に目を留めること、お金という具体的な問題が取り上げられている
(6:17)。この二つの違った教えについてまとめるならば、前半は正しさ(権力)、
後半はいのち(お金)が問題になっているということが言える。

そこで、パウロはエペソの教会の人々がこれらの教えに惑わされることがないよ
うにと命じているわけだが、次にその教えに対して、教会が何を教えられ、また
何の教えを守るべきなのかが教えられている。テモテへの手紙第一においては、
違った教えに対して、健全な教え(1:10)、良い教え(4:6)、敬虔にかなう教え
(6:3)等ということばがあげられる。これらの教えについては、特に真ん中の2-5
章で教えられている。

この段落では、テモテへの手紙第一においては良く知られている監督と執事の条
件について話されており、これと並行して、やもめとして名簿に載るための条件
もあげられている。これらの条件については、良い教えについて考えるにあたっ
て非常に大切な役割を果たしている。パウロは監督の条件について話すとき、ま
ずその働きがすばらしいものであることをはっきりと言い(3:1)、違った教えに
だまされて、それらのような働きをやめることがないようにと教えている。ま
た、やもめの条件は実際にお金の問題がからんでおり、本当に助けを必要とする
やもめに献金がいきわたるようにしなければならない。テモテにはこれらのこと
について正しく行なう責任が与えられており、教会が良い教えにしたがって正し
い行ないに励み、正しいやり方で永遠のいのちを求めるように教える働きが与え
られている。これらのことをテモテが正しく行なうことによって、唯一の神であ
るキリストの誉れが現わされるのであって(1:17, 6:16)、この歩みこそがテモテ
への手紙で求められている敬虔な生き方なのである。

このように、テモテは父であるパウロが任命されたのと同じように(1:12)、神か
ら任命を受け、キリスト・イエスのりっぱな奉仕者となったのであり(4:6)、い
のちの源である生ける神の教会を建て上げるという働きを与えられたのである
(3:15)。そこで、パウロは、モーセが子であるヨシュアを励ましたように、子で
あるテモテを「雄々しくあれ。強くあれ。」と励まし、キリスト・イエスの御前
にあって命じているのである。これらすべての命令は、きよい心と正しい良心と
偽りのない信仰とから出てくる愛を目標とするものである(1:5)。

-- Shinya Daniel@KannoFamily  mailto:+shinya@kanno.com :)