Subject: テモテへの手紙第一「信仰と愛」 |
From: Shinya Daniel Kanno |
Date: 2010/06/10 15:41 |
To: Saiwainet |
「信仰、愛を熱心に求めなさい。」 菅野審也 2010.06.10 テモテへの手紙第一には、「信仰<4102>」(18回)ということばと、ストロング番 号が一番違いの「忠実<4103>」(10回)と日本語で訳されていることばが、合わせ て28回も使われている。また、パウロは手紙の冒頭で「この命令は、きよい良心 と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を、目標としていま す。」(1:5)ということもはっきりと述べている。そのため、ことばの使われて いる回数からしても、さらに、この出だしの言い方からしても、テモテへの手紙 第一は「信仰とは何か。」という問いをメッセージとして持っていることは非常 に明らかである。では、私たちはこの手紙から信仰について何を教えられるのだ ろうか。 この手紙において、信仰について話されるにあたって、よくペアで使われている ことばがある。それは、「愛」であるのだが、この二つのことばがペアで使われ ている箇所は全部で5箇所で(1:5, 1:14, 2:15, 4:12, 6:11)、「ことばにも、態 度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。」(4:12)という 使われ方であったり、「正しさ、敬虔、信 仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めな さい。」(6:11)等という使われ方がされている。 4章12節でもはっきりと言われていたように、テモテは教会においてリーダーと いう立場に置かれており、すべてのことにおいて人々の模範にならなければなら なかった。また、教会において正しく働きたいと願うにあたって、テモテには特 に、信仰と愛とを持つことが求められいていた。 そこで、この手紙の差出人であるパウロは信仰とは何か、また、愛とは何かを具 体的な問題を通して教えている。この時代において、教会は周りのユダヤ人たち から激しい迫害を受けており、非常に苦しい状態にあった。その中で、ヒメネオ とアレキサンデルのように、正しい良心を捨て、信仰から離れる者たちも多くお り(1:19-20)、中には、教会で違った教え を説いたり、果てしのない空想話や系 図とのゆえにむだな論議を起こしたりする者たちもいた(1:3-4)。そのような者 たちを正しくさばくこと、教会全体が同じように信仰から離れていってしまうこ とがないように戒め、励ますというのも、パウロからテモテへ与えられた一つの 大きな働きであった。また、このテモテにはもう一つの具体的な問題もあったわ けで、教会のリーダーとして、監督や執事を正しく選ぶ必要があった。その問題 を抱えていたテモテを、パウロは手紙において励まし、監督と執事を選ぶにあ たっての条件を教えている(3:1-7/8-13)。実は、この条件について教えること、 これが信仰について、また愛について教えることである。 監督、執事として選ばれた者たちには、共通して行うようにと命じられているこ とがある。それは、ひとりの妻の夫であること、また、子どもと家庭をよく治め るようにということである(3:2, 4-5, 12)。これは、小さいことのようで、非常 に大きな意味を持っており、妻であり、兄弟、また神の家である教会を治めるに あたって、まずは自分の目の前に置かれている家族を愛し、そしてよく治めるよ うにという神からの命令を受けているのである。この話においては、この愛のこ とだけではなく、執事の条件においてはっきりと「信仰の奥義を保っている人で あるように」(3:8)と言われているように、信仰についても話されている。その 信仰の奥義とは、「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御 使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で知られ、栄光のうちに 上げられた」(3:16)ということである。教会がリーダーを選ぶことにおいて正し い信仰とを持って行う時には、それによってキリストの誉れが現されるのであっ て、キリスト・イエスのりっぱな奉仕者になることができるのである(4:6)。 そのようなわけで、テモテが、また教会が信仰の戦いを戦っていくにあたって、 この教えは、監督や執事に限らず、教会全体においても良い教えとなっており、 迫害されている中で一番の問題となる、夫婦の関係、親子の関係について教えら れるものである。そこで、まず父であるパウロは信仰による真実のわが子である テモテ(1:2)を愛をもって教 え、モーセがヨシュアに、またエリヤがエリシャ に、さらにはキリストが弟子たちにしてくださったように、父と子の関係を持っ て励まし、強くあり、雄々しく あって、この愛の戦いを戦っていくようにと励 ましているのである。このような関係こそが、信仰と愛の現れである。-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)