Subject:
ペテロの手紙第一「選ばれた人々」
From:
Shinya Daniel Kanno
Date:
2010/06/24 15:50
To:
Saiwainet

「選ばれた人々へ」 菅野審也 2010.06.24

ペテロがこの手紙を送るにあたって、これが「選ばれた人々へ」宛てられたもの
であることを非常に強調している。そのことが目に見えてはっきりとわかるの
が、まず出だしで、「ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散っ
て寄留している、選ばれた人々へ」(1:1)という言い方から始まっていることで
ある。「選ばれた」ということばそのものがたくさん使われているわけではない
が、これが一つの大切なテーマとなっていることは言うまでもない。では、ペテ
ロの手紙第一は選ばれた人々へ何を命令しているのか。選ばれた人々としてのふ
さわしい歩み方とは何なのだろうか。

この選ばれた兄弟たちはみな信仰の戦いの中にあって、キリストの御名のゆえに
迫害されており、終りの日にその苦しみがキリストの栄光へと変えられることを
待ち望んでいる。そのような彼らについて、1章2節は四つのことを教えている。
すなわち、彼らがみな「父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・
キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々」で
あるということである。この四つのことを土台に、ペテロはこの手紙全体を通し
て、彼らの模範とするキリストについて、また、彼ら自身が終りの日を待ち望む
者たちとしてどのような歩み方をすればよいのか、勧め、励まし、また命令を与
えている。

ペテロの手紙は全体を大きく四つの段落に分けることができるが、特にその四つ
のうちの真ん中の二つの段落、すなわち、二つ目と三つ目の段落で、キリストの
従順について教えられている。その従順について、二つの観点から考えることが
できる。一つは神様に対する従順、二つ目は私たち、兄弟たちに対する従順であ
る。キリストは、この世に仕える者として現れてくださり、しもべがその主人に
従わなければならないように、キリストもその良心のゆえに御父である方に信頼
されたのである。また、キリストは私たちがその足跡に従うようにと、模範を残
して下さったのである。それは、父に対する信頼のゆえに、ご自分の罪のために
ではなく、私たちの罪の贖いのために、十字架上で苦しみを受けてくださったと
いうことである。キリストはまさに「義のために苦しむ者は幸いである」という
みことばを身を持って私たちに示して下さったのである。

そのような聖なる方の模範にならって、私たちもあらゆる行ないにおいて聖なる
ものとならなければならない。そこで、ペテロは一段落目と四段落目を通して、
私たちにふさわしい歩み方がどのようなものであるか教えている。一段落目で
は、特に神に対する信仰を持ち、この世の欲に望みを置いていた以前とは違い、
今は選ばれた聖なる国民としていつまでも変わることがなく、朽ちることのない
みことばに目を留めるようにということが教えられている。そこで、四段落目で
は、キリストの時と同じように、特に兄弟たちの関係について教えられている。
後半において、「互いに」ということばが多く使われているとおりである。私た
ちはその信仰とのゆえに、兄弟たちとの互いの間の愛を深めることが求められて
おり、神のみこころのために、熱心に善を行うようにということが命令されている。

なぜなら、選ばれた者である私たちの目指すは、キリストの栄光と支配とが世々
限りなく現わされることであって(4:11, 5:11)、それが現わされる時に私たちが
喜びおどる者となるためである。この栄光のために苦しみを受け、耐え忍ぶこと
は神のみこころであり、これこそが、神に選ばれ、その方の真の恵み(5:12)を受
けた者としてのふさわしい歩み方であり、すべての兄弟たちに神の恵みを与える
歩み方なのである。

-- Shinya Daniel@KannoFamily  mailto:+shinya@kanno.com :)