Subject:
1ペテロ:「選ばれた寄留者たち」
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/06/24 21:11
To:
saiwainet

この手紙は、イエス・キリストの使徒ペテロが散らされて、寄留者となっている兄弟たちに対して書き送ったものである。では、「寄留者であった」状態とは何なのだろうか?また、私たちクリスチャンは「寄留者」について何を教えられるのだろうか?

選ばれた寄留者たち

「寄留者たち」とはポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留していた、選ばれた人々のことである。彼らは信仰の試練の中にあった、ということは、彼らの置かれていた”寄留者”という状況からも分かる通りである。しかし、彼らがそのような状況にあっても「選ばれた人々」である、ということには変わりがなかった。また、彼らは約束された栄光を信じ、戦い続けていた、という点を除けば(イスラエルの民は神とモーセに逆らっていたため)、荒野のイスラエルのストーリーに似ているところもあると考えられるのではないだろうか。イスラエルも荒野で寄留者として40年間彷徨っていたが、それでも、彼らは選ばれた民であることに変わりなかったのである。

イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。
- 1ペテロへの手紙1:1

祭司の王国、聖なる国民である寄留者たち

ペテロの手紙の相手である「寄留者たち」と旧約時代のイスラエルの民の共通点は、1ペテロ2章においてさらに明らかになる。ペテロは「寄留者たち」について、以前は神の民ではなかったが、神の民にされた(2:10)と説明する。また、2章9節では「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」という4つもの呼び方が使われている。実はこの同じ言い方は、出エジプト記19章6節でイスラエルの民について使われている言葉そのものなのだ。もしイスラエルの民が契約を守るのならば、神様は御自分の「祭司の王国、聖なる国民」としてくださると約束された。つまり、1ペテロで異邦人の間に散らされ寄留者となっていた者達は(2:12)、新約時代のイスラエルのような位置づけだと考えてもよいだろう。

しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。
- 1ペテロへの手紙2:9

選ばれた寄留者たちと荒野のイスラエルの違い

しかし、この二つのストーリーには決定的な違いがある、旧約時代のイスラエルの民は40年間荒野を彷徨っていたのは、その罪のためであり、彼らが神とモーセに逆らったために与えられた苦しみであった。しかし、1ペテロの寄留者達とは、福音を述べ伝えるために異邦人の間に散らされたのである。イスラエルの民はちょうど2章20節に書かれている「罪を犯したために内たたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう」という箇所に当てはまる。また、新約時代の寄留者達とは同じ2章20節に書かれている「善を行っていて、苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。」という箇所に当てはまると言える。

罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。
- 1ペテロへの手紙2:20

寄留者アブラハムとその子孫たち

では、荒野のイスラエル以外に「寄留者」に関する旧約時代のストーリーとは何だろうか?それはやはり、アブラハムとその子孫のストーリーであろう。彼は、神様の命令により始めにウルを旅立って以来、示される地に進んでいった。神様はアブラハムに対し、彼の子孫に相続地を与える、と約束してくださったのだがアブラハム自身は地上では約束のものを手に入れることはなかった。しかし、この時約束された地がイスラエルに与えられたのである。

地上で寄留者であった者たち

アブラハムの他にも聖書には信仰の先祖達のストーリーが書かれているが、そのどれもが「地上では寄留者であった」者たちの話だ、と言える。なぜなら、それはヘブル11章に書かれているからである。彼らは、約束のものを手に入れることなく、信仰の人々と死んでいった。しかし、彼らは自分の真の故郷は天にあると信じていたため、この世では自分たちが旅人であり、寄留者であることを告白していたのである(ヘブル11:13-16)。

この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。
- ヘブル人への手紙11:13

この地で寄留者であった御子キリスト

寄留者であるのは神様の民だけではない。御子キリストが人間となってこの世に来られた、ということもある意味で「寄留者」の状態だったと言えるのではないだろうか。アブラハムや他の信仰の先祖達について、彼らの故郷は天にあった、と言われているように、キリストこそが天に故郷のある方だからである。キリストは罪の贖いを成し遂げるために、御父によって世に遣わされたのである(ヨハネ17:16
- わたしがこの世のものでないように...)。それゆえ、罪の贖いをされた私たちも、現在はこの世にあって寄留者であるのだが、天の故郷に帰ることを約束されているのである。この約束こそが、ペテロが手紙を送った寄留者たちの望みでもあった。彼らは福音のために迫害され苦しみを受けていたのだが、この望みをもって耐え忍んだのである。

わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。
- ヨハネによる福音書17:16