Subject:
2ペテロ:「滅びの約束と望み」
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/07/01 6:43
To:
saiwainet

ペテロは彼が書いた第一の手紙と第二の手紙で主の日について書き送った。彼はこれらの手紙において、それぞれ別の観点で、そのさばきの日について説明している。聖書には他にも主の日について書かれている手紙はあるのだが、私たちは第二ペテロの手紙から特に何を学ぶことができるのか?主の日に問題となる人々についてはどのように書かれているのだろうか?

この手紙を通してペテロは、主の日に起こるであろう問題について兄弟達に警告し、彼らに注意を促している。その問題の一つは、あざける者たちとその行いであり、彼らの欲望による生活によって惑わされることがないように、と言っている。彼らは間違った教えを主張するなど、偽預言者や偽教師とも呼ばれるものたちであり、外から攻撃してくる敵というよりも、教会の中にいて、兄弟達を誘惑する者たちであった。それゆえ、彼らが誤った生き方をしているにも関わらず、それに誘惑されて、彼らと同じ滅びに落ちてしまう、といったことがないように、とペテロは指摘したのである。

彼らのもう一つの大きな問題とは、彼らが初めからそのように神様の教えに逆らう者たちであったのではなく、以前は同じように神様を信じる兄弟達であった、ということだ。それゆえ、ペテロはベオルの子バラムを例としてあげ、彼らの罪について説明している。バラムは民数記に登場する人物で、神様の民を呪うためにモアブの王に雇われた。彼らの一番の大きな問題とは、神様を知っていながら、命令に背き、それだけでなく、間違った教えを広めたということだ。ペテロは彼らを「のろいの子」と呼んでいるほどである。

このような者たちについては、ペテロが2章で書いている通り、必ずさばかれることが定められている。このさばきについてペテロは、ノアの洪水やソドムとゴモラのストーリーをたとえとしてあげており、ノアとその家族のような敬虔な者たち、そして、義人ロトのような者は救われるが、不敬虔な者や不義な者は必ずさばかれ滅ぼされる、と書かれている。また、彼らはキリストを知っていながら、離れてしまったため、そのさばきは非常に大きいものである、ということが分かる。

このようにして、その罪のためにさばかれるのは人間だけではない。罪をおかした御使いたちも同じようにさばかれることが定められている。この罪を犯した御使いとは、おそらく、サタンが堕落した時に共に神様を離れた御使いたちの事であると思われる。彼らについては、ユダ1章6節にも書かれており、彼らは「自分のおるべき所を捨てた御使いたち」と呼ばれている。

では、このような時に、神様を信じる者たちは何を望みとしていたのだろうか?彼らは必ず正しいさばきが行われる、という神様の約束を望みとしていたのである。間違った教えを広める者たちや、それに惑わされてしまう人々が増えたり、福音のために迫害を受けたりするとき、その問題を起こしている不敬虔な者たちが必ずさばかれる、という約束は大きな慰めであり、望みだったのである。しかし、彼らには悪者が滅びることだけが約束されていたのではなく、古い天地が滅びる代わりに、正しい者ために、正義の住む新しい天と地が与えられる、ということも神様は約束してくださっていた。それゆえ、これを信じて待ち望んでいる兄弟達は、忍耐し、滅びてしまう今の天と地にいる間、約束を待ち望んで福音のために戦ったのである。