Subject: ペテロの手紙第二「救い主であるキリストを知る」 |
From: Shinya Daniel Kanno |
Date: 2010/07/01 15:40 |
To: Saiwainet |
「主であり救い主であるキリストを知る」 菅野審也 2010.07.01 「私たちの神であり救い主であるイエス・キリスト」という言い方が5回も使わ れているペテロの手紙第二においては、手紙の初めと終りに、このイエス・キリ ストを知ることによって恵みに満たされるように(1:2)、また、この方の恵みと 知識とにおいて成長するように(3:18)という勧めであり、さらには命令がある。 では、この手紙を送られている教会において、キリストを知ることにおける救い とは何なのだろうか。 イエス・キリストの義によってペテロと同じ信仰とを受けたこの人たちは、苦し みの中におり、主の日が来るのを待ち望んでいた(3:12)。そこで、ペテロは、自 身の第一の手紙において、主の日について教えたように、同じように、主の日が どのような日であるのか、その日にはどのような者でなければならないのかをも う一度教えている(3:1)。その教えの中であげられていることの一つが、「主で あり救い主であるイエス・キリストを知る」ということであった。 それでは、なぜ、主の日を待ち望む彼らには、キリストを知ることが求められて いたのだろうか。それには、ペテロも何度も教えているように、一つの大きな理 由があった。すなわち、主の日には、偽預言者たちが現れ(2:1)、キリストの来 臨の約束はどこにあるのかと言って、その約束を待ち望む者たちをあざけるとい うことである(3:3-4)。彼らはまた、不義の報酬を愛したベオルの子バラムの道 に迷い(2:15)、自分たちが滅びの奴隷でありながら(2:19)、肉の欲や、好色とに よって人々を誘惑し(2:18)、多くの人々を滅びへと招こうとしていたのである。 そのため、ペテロは、そのような誘惑にだまされないように、また兄弟たちも彼 らと同じように、一つの大切なことを見落とすことがないようにと彼らを励まし ているのである(3:8)。その見落としてはならないこととは、神の約束は必ず遅 れることなく果たされるということ(3:9)、それゆえ、その約束に従って新しい 天と新しい地とを待ち望むようにということである(3:13)。 そのようなわけで、救い主であるイエス・キリストを知るとは、彼らの上にます ますキリストの恵みと平安とが豊かにされることであり(1:2)、いのちと敬虔に 関するすべてのことが彼らに与えられることなのである(1:3)。また、それによ り、彼らがより実を結ぶ者として、役に立つ者として(1:8)、キリストの威光の ために奮い立たされるのであって、主の日には敬虔な者たちとして、滅びの中か ら救われるのである(2:9)。これこそが、栄光と徳による神の約束であり(1:4)、 救いである主の忍耐である(3:15)。-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)