Subject: ヨハネの手紙第一「いのちのことば」 |
From: Shinya Daniel Kanno |
Date: 2010/07/14 14:22 |
To: Saiwainet |
「初めからあったもの、いのちのことばについて」 菅野審也 2010.07.14 「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手 でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて」(1:1)という言い方から 始まることからもわかるように、ヨハネの手紙第一は、この手紙の差出人である ヨハネが、愛する子である教会に永遠のいのちについて教えている手紙である。 では、私たちがこの手紙から教えられる「永遠のいのち」とは何なのだろうか。 「いのち」ということばがヨハネの手紙第一で使われているのは17回ほどで、こ のことばそのものが他の書物、手紙に比べて特別に多く出てくるわけでもない。 しかし、ヨハネの手紙第一の全体、特に出だしと終わりの言い方を読むときに、 「いのち」、特に「永遠のいのち」ということばがこの手紙において大切なキー ワードとなっていることは非常に明らかである。まず出だしでは、「初めから あったもの...すなわち、いのちのことばについて」 (1:1)という言い方におい て使われており、終わりでは「この方こそ、まことの神、永遠のいのちで す。」(5:20)という言い方において使われている。 この二つの言い方からもはっきりと理解することができ、1:2の「このいのちが 現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のい のちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のい のちです。」という言い方からもわかるように、永遠のいのちとは、キリストご 自身のことである。そのようなわけで、私たちがこのヨハネの手紙第一から教え られることとは、キリストご自身についてであるということがわかる。では、永 遠のいのちにおけるキリストとはどのようなお方なのだろうか。 このキリストについて考えるにあたって、この手紙において忘れてはならないこ とは、手紙の差出人であるヨハネ自身も模範としている、御父と御子の愛の関 係、また、御子と私たちとの関係である。これらの関係が、ヨハネの手紙第一を 通してキリストについて知るのに非常に大切な役割を果たしているのは言うまで もない。なぜなら、この手紙においては、キリストは、ご自分がどのようなお方 であられるのかは直接は教えてはおられない。キリストは私たち、兄弟たちの互 いの間の関係を通して、ご自分について教えておられるのである。すなわち、私 たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、命じられたとおりに、互いに愛し合 うときには、キリストの栄光、そしてご自身が大いに現されるのである(3:23)。 また、私たちが互いに愛し合うときには、実際にキリストも私たちのうちにとど まってくださるのであり、神の愛、さらには御霊を私たちのうちに住まわせてく ださるのである。 そのようなわけで、これらのことからわかるように、私たちに与えられた使命と は、永遠のいのちを与えられた者として、いのちであるキリストをあかしするこ と、また、神の命令を守って、互いに愛し合うことである。このことのために、 私たちは召されたのであって、キリストもこのことのためにご自分のいのちをお 捨てになったのである。これこそが、私たちに宣べ伝えられた福音であって、私 たちもまたあかしすべき福音である。-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)