Subject:
1ヨハネ:「光と愛」
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/07/15 7:02
To:
saiwainet

「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。」ヨハネは1章5節でこれが、兄弟達に伝える知らせである、と明言した。では、神が光である、とはどのような意味なのだろうか?光とは何か?そして闇とは何か?それは、私たちにとってどのような意味を持つものなのだとヨハネは教えているのだろうか?

使徒ヨハネがこの手紙を書き送ったのは、それを書いた時代は「終わりの時」と言われていた頃であり、つまりは、闇の力に対する戦いの時だった、ということが一つの理由だ考えられるだろう。光なる神のものであるクリスチャンにとっては試練の時であった。そのような「闇」がはびこっている時代において、神の子どもらしく光の中を歩むように、という命令をヨハネは与えたのである。なぜなら、神御自身が光りであるのだから、その方を信じる人々も光の中を歩むべきだからである。それゆえ、神を信じていると言っても、光の中を歩まず、闇の中を歩むのならば、その信仰は偽りであり、その者の神への愛は真理ではない、ということになるのだ。神を信じていると言うのだから、それにふさわしい行いをするべきなのである。

では、神様を信じている者にふさわしい行いとは何か?これこそが、1ヨハネにおいて私たちに命じられている「光の中を歩む」ということではないだろうか?しかし、「光の中を歩む」という言い方では、実際に何をするべきなのはあまり明らかではない。1ヨハネを通して学ぶ時、それは「愛すること」である、ということが明白になる。この愛とは、神様に対しては当然だが、同じように神にある兄弟も愛するように、と命じられているのだ。

「光の中を歩んでいるのなら、互いに交わりをたもつように」これは、ヨハネが1章7節に書いたことである。また、彼は2章では「兄弟を憎む者は闇の中を歩んでいる」と二度も繰り返して書いている通り、闇の中を歩むとは兄弟を憎むことなのである。つまり、反対に兄弟を愛するのならば、光の内にいるということになる。神への信仰は愛において表れ、その愛とは神様御自身だけでなく、神の子どもたちに対しても向けられるべきなのである。それゆえ、1ヨハネで言われている「光」とは神御自身であるのはもちろんだが、「愛」であるとも言えるのではないだろうか。