Subject:
ヨハネの手紙第二と第三
From:
Mikuni Kanno
Date:
2010/07/27 13:46
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

「ヨハネの手紙第二と第三」

 ヨハネの手紙第二と第三は、手紙の中で一番短い二つの手紙である。この二つの手紙には、ヨハネ福音書13から17章のキリストが十字架にかけられる前の教えや、ヨハネの手紙第一に書かれていることが短く集約されている。では、この二つの手紙の共通点、そして相違点とは何であるか。

 まずは、二つの手紙の共通点について述べる。

 一つ目は、この二つの手紙が同じ筆者によって書かれたということである。手紙の中では、「長老から」と書かれているが、これはヨハネのことである。つまり、ヨハネが書いた手紙である。二つ目は、「私はあなたを本当に愛しています。」という言い方である。ヨハネは手紙を送っている相手を非常に愛しているので、このように手紙を書き送っているのである。三つ目は、彼が真理のうちを歩んでいることを聞いて非常に喜んでいることである。教えを与える者にとっては、その教えにとどまって真理を行うことが大きな喜びとなるのである。四つ目は、惑わす者たちが教会に入り込んで来ているということである。ヨハネが手紙を書いた目的の一つは、彼らに気を付けるように警告することだと言える。最後に、手紙の締めのところで共通している言い方がある。それは、「あなたがたに書くべきことがたくさんありますが、紙(筆)と墨でしたくはありません。あなたがたのところに言って、顔を合わせて語りたい。」という言い方である。ヨハネがどんなに手紙を書いている相手に会いたいかが分かる。顔と顔とを会わせて話し合うのと、紙で書き送るのとでは、前者の方が喜びが全きものとなるのである。

これらの五つの点において、ヨハネの手紙第二と第三の共通点を見ることが出来る。

 次に、二つの手紙の相違点について述べる。

一つ目は、手紙を書いている相手が違うことである。第二の手紙は選ばれた夫人とその子どもたちに書かれているのに対して、第三の手紙はガイオに書き送られている。第三の手紙は、特に名指しで特定の人物に宛てて書かれているのが興味深いところである。名前に関して言えば、第二の手紙には名前が出てこないが、第三の手紙には「デオテレペス」と「デメテリオ」という2人の人物が登場している。二つ目は、第三には第二にない「愛する者よ。」という呼びかけが三回もあることである。これも一つ目の箇所で述べたように、特定の人物に書かれているかどうかによる違いだといえる。三つ目は、第二ではキリストの教えに反することを教える者を受け入れてはいけないと言っているのに対し、兄弟たちを受け入れないデオテレペスという人がいるということである。間違った教えを持っている人は受け入れてはいけないが、兄弟を受け入れずに教会から追い出すことは悪である。

これらの三つの点において、二つの手紙の相違点を見ることが出来る。

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二つの手紙における全体のテーマは「愛」である。第二では特に「父と子の愛」が強調されているのにたいして、第三では「兄弟愛」が強調されている。第二には、「父」や「子」というキーワードが何回か出てくる。子どもたちが御父の命令に従って愛のうちを歩むことは、ヨハネにとって非常に大きな喜びである。しかし、父と子の愛だからといって、兄弟愛について書かれていない訳ではない。なぜなら、御父の命令に従って歩むとは、「互いに愛し合う」ことだと言われているからである。第三では、兄弟愛をもてなしたり、真実を行うように命じられている。真実とは、デメテリオが模範となっているように、善を行うことである。

なぜ「互いに愛し合う」ことはこれほどまで強調され、何度も命令されているのか。ヨハネは手紙にその理由を書いている。「なぜお願いするかと言えば」、人を惑わす反キリストから守られるからである(第二:7)。教会の兄弟同士で互いに愛し合うことによって、反キリストは攻撃することが出来ないのである。逆に、第三に書かれているデオテレペスのようなものがいれば、惑わす者たちに簡単に攻撃されてしまう。ヨハネが手紙を書き送っている大きな理由は、反キリストについての警告だと思われる。その問題に対処するためには、「愛」が必要なのである。