Subject:
ユダ:「信仰の戦いと不敬虔な者たち」
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/08/03 11:47
To:
saiwainet

ヤコブの兄弟であるユダが「召された愛する人々」に書き送ったこの手紙は、他の書物に比べて、送った目的が非常にはっきりとしている。また、書かれた経緯が具体的に説明されているという点も興味深い。3節で言われているとおり、ユダは初め救いについて書こうとしていたのだが、兄弟達の間にある問題が起こったため、信仰のために戦うことについて書き送る事となった。では、その問題とは何だったのだろうか?ユダが教えた信仰の戦いとは何か?

この時問題となっていたのは「ひそかに忍びこんできた人々」、つまり、真っ向から信仰を否定したり、迫害するというよりも、ヨハネの手紙第一や第二においても取り扱われていたような、偽りの教え等、中から教会を壊すような者たちが問題となっていたのである。彼らはキリストを否定する、不敬虔な者たちと言われている。彼らのさばきは昔から定められており、彼らの滅びについては、ソドムとゴモラのたとえ等を通してユダが説明した通りである。

前の段落でも述べたとおり、ユダは教会の中で問題を起こしていた、不敬虔な者たちへのさばきを兄弟達に対して説くために、いくつかの聖書のストーリーを用いた。その中には、歴史の始まりに、サタンと共に堕落してしまった御使いたちの話も含まれている。これらの御使いは、その罪のためにさばきの日まで、永遠の束縛によって閉じ込められている、と言われている。同様の事は、2ペテロ2章4節にも書かれている。これらの二つは、御使いへのさばきについて言及されている数少ない箇所でもある。

ソドムとゴモラも好色や肉欲等の罪のためにさばかれた。彼らは、その時にさばかれただけでなく、今もなお、永遠の火の刑罰を受けており、そのさばきは「永遠」という名の通りとこしえに続くのである。ユダが手紙を書いた当時、問題となっていた不敬虔な者たちもまた、ソドムとゴモラと同じようにさばかれると定められていた。

堕落してしまった御使いたち、ソドムとゴモラ、そして、不敬虔な者たちのすべてに共通しているのは、彼らはみな自分の欲望のために罪を犯した、ということである。彼らは自分の利益のために迷い、その結果として滅びてしまったのである。彼らの持っていた欲望は、ユダの手紙で「御霊」と対比されている。心の中の欲とは、聖霊の働きの正反対のものであり、信仰に全く反するものなのである。それゆえ、ユダは欲望を持つ不敬虔な者たちが問題を起こしていた時代に、「愛する人々よ」という呼びかけをもって、それらの自分の利益求める者たちから守られるように、と注意したのである。

実は、ユダの「愛する人々よ」という呼びかけにも、この手紙で取り扱われている、欲望という罪を理解する鍵が隠されているのである。