Subject:
ユダ:「信仰の戦いにおける愛と欲望」
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/08/05 21:40
To:
saiwainet

信仰のために戦いなさい

ヤコブの兄弟であるユダが「召された愛する人々」に書き送ったこの手紙は、他の書物に比べて、送った目的が非常にはっきりとしている。また、書かれた経緯が具体的に説明されているという点も興味深い。3節で言われているとおり、ユダは初め救いについて書こうとしていたのだが、兄弟達の間にある問題が起こったため、信仰のために戦うことについて書き送る事となった。では、その問題とは何だったのだろうか?ユダが教えた信仰の戦いとは何か?

ひそかに忍びこんできた人々

この時問題となっていたのは「ひそかに忍びこんできた人々」、つまり、真っ向から信仰を否定したり、迫害するというよりも、ヨハネの手紙第一や第二においても取り扱われていたような、偽りの教え等、中から教会を壊すような者たちが問題となっていたのである。彼らはキリストを否定する、不敬虔な者たちと言われている。彼らのさばきは昔から定められており、彼らの滅びについては、ソドムとゴモラのたとえ等を通してユダが説明した通りである。

サタンと共に堕落した御使いたち

前の段落でも述べたとおり、ユダは教会の中で問題を起こしていた、不敬虔な者たちへのさばきを兄弟達に対して説くために、いくつかの聖書のストーリーを用いた。その中には、歴史の始まりに、サタンと共に堕落してしまった御使いたちの話も含まれている。これらの御使いは、その罪のためにさばきの日まで、永遠の束縛によって閉じ込められている、と言われている。同様の事は、2ペテロ2章4節にも書かれている。これらの二つは、御使いへのさばきについて言及されている数少ない箇所でもある。

定められた永遠の火の刑罰

ソドムとゴモラも好色や肉欲等の罪のためにさばかれた。彼らは、その時にさばかれただけでなく、今もなお、永遠の火の刑罰を受けており、そのさばきは「永遠」という名の通りとこしえに続くのである。ユダが手紙を書いた当時、問題となっていた不敬虔な者たちもまた、ソドムとゴモラと同じようにさばかれると定められていた。

自分の欲望のために犯された罪

堕落してしまった御使いたち、ソドムとゴモラ、そして、不敬虔な者たちのすべてに共通しているのは、彼らはみな自分の欲望のために罪を犯した、ということである。彼らは自分の利益のために迷い、その結果として滅びてしまったのである。彼らの持っていた欲望は、ユダの手紙で「御霊」と対比されている。心の中の欲とは、聖霊の働きの正反対のものであり、信仰に全く反するものなのである。それゆえ、ユダは欲望を持つ不敬虔な者たちが問題を起こしていた時代に、「愛する人々よ」という呼びかけをもって、それらの自分の利益求める者たちから守られるように、と注意したのである。

愛と欲望

実は、ユダの「愛する人々よ」という呼びかけにも、この手紙で取り扱われている、欲望という罪を理解する鍵が隠されているのである。なぜなら、ユダの愛する人々とは、神の愛のとどまっている者たちであり、信仰の上に自らを築き上げている人々、つまり、彼らは自分のためという欲望とは正反対の神への愛を持っているからである。ユダはそのような者たちに対し、愛のうちに自分自身を保ち、キリストを待ち望むようにと励ましたのである。なぜなら、自分の欲望のままに歩む者たちは、神の愛を持つどころか、教会に分裂を起こしていたからである。

永遠のいのちの約束

ソドムとゴモラや、サタンと共に堕落した御使いたちのように、自らの欲望のために生きた者たちは、永遠の火の刑罰のさばきを受けることが定められている。しかし、神の愛のうちに自分を保つ者は、永遠のいのちを受けることが
約束されているのだ。それを望みとし、信仰の戦いを戦い抜くように、というのがユダがこの手紙を通して書き送ったことであった。なぜなら、ユダも兄弟達も栄光、尊厳、支配、権威が永遠である唯一の神に信頼していたからである。