Subject: ローマ人への手紙「神の福音」 |
From: Shinya Daniel Kanno |
Date: 2010/08/19 14:47 |
To: Saiwainet |
「神の福音のために選び分けられた」 菅野審也 2010.08.19 「福音<2098>」ということばはローマ人への手紙全体を理解するにあたって非常 に大切なキーワードとなっている。10回という登場回数が他のどの書物よりも多 いこと、またローマ人への手紙全体が「神の福音のために選び分けられ、使徒と して召されたキリスト・イエスのしもべパウロから」(1:1)というあいさつから 始まり、「私の福音とイエス・キリストの宣教によって、…あなたがたを堅く立 たせることのできる方に、…御栄がありますように」(16:25-27)という祈りで終 わることからも、この手紙における「福音」ということばの大切さがさらに明ら かにされるものである。その福音について、パウロはまず手紙の出だしではっき りと御子に関することであること、またこれらはすべて昔から預言者たちの口を 通して語られ、約束されていたものであったこととを述べている(1:2-3)。で は、私たちはそのような出だしで始まるローマ人への手紙から御子について、す なわち神の福音について何を教えられるのだろうか。 まず初めに、パウロは福音が御子に関することであると宣言する中で、その御子 がどのようなお方であるのかを続けて話している。すなわち、肉によればダビデ の子孫としてお生まれになったこと、御霊によれば死者の中から復活され、その 大能によって公に御子として示された方であり、私たちの主イエス・キリストで あるということである(1:3-4)。このキリストによって、パウロ含め私たちはあ らゆる国の人たちの中に信仰の従順をもたらすために使徒の務めを受けたのであ る(1:5)。このようなわけで、私たちに与えられている働きとは神の福音を宣べ 伝え、私たち自身聖く、聖なる者として祭司の務めを果たすということである (15:16)。この手紙の差出人であるパウロもこのことのために働き、福音はすべ ての信じる人にとって救いを得させる神の力であると信じ(1:16)、かの有名な 「福音を恥とは思いません」という言い方を用いて(1:16)、自分を選んでくだ さったキリスト・イエスの栄光のために、奮闘し、また苦労したのである。 パウロが宣言した「福音を恥とは思わない」という宣言は確かに非常に大切であ り、このことのために働くクリスチャンたち、すべてにとっても大切な宣言であ る。なぜなら、このローマ人への手紙を送られている時代にあって、彼らはみな 苦しい状態に直面しており、神の義に反する不義、そして不敬虔、また神の福音 に反するこの世の欲望、情欲とのゆえに彼らの心を悩ませていたのであって、そ のような時に福音のために苦労することを恥と思うようにという誘惑を受けるの である。しかし、パウロはそのような弱っている彼らに手紙を送って、励まし、 自分自身が奮闘してきた福音がどのようなものであるのかを彼らに知らせている のである。 そのパウロがこの手紙において福音として教えていることとは一言でまとめると 「神の義」であるということが言える。やはり、「神の義」という言い方もロー マ人への手紙で一番多く使われており(5回)、福音について考える時にキーワー ドとなっている。その神の義とはすなわち、神ご自身であり(3:26)、パウロが手 紙の出だしで、福音は御子に関することであると書いたとおりである。このよう なわけで、私たちの宣べ伝える福音とは、キリストご自身であり、また、私たち は、神の恵みとキリスト・イエスの贖いのゆえに価なしに義と認められるという ことである(3:24)。私たちはイエスを死者の中からよみがえらせなさった方を信 じる、その信仰によって、義とみなされるのであり(4:24)、それでこそ、神の栄 光を望んで大いに喜ぶことができ、患難さえも喜ぶことができるのである(5:1-3)。-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)