Subject:
ローマ:「義人はいない。ひとりもいない。」
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/08/23 19:58
To:
saiwainet

「義人はいない。ひとりもいない。」パウロは詩篇14篇と53篇から引用し、人の罪について説明した。彼は、義と認められることについて説くために、不義についても書いたのである。では、特に3-4章の段落でパウロが説明している義、そして、不義とは何だろうか?パウロが3章5節で書き送った「私たちの不義が神の義を明らかにするものなのか?」という問いに対する答えは何だろうか?

3-4章で私たちに明らかにされている、神様の義とは何か?3章21節からの段落によると、それは、律法預言者を通して私たちにあかしされ、示されたものである。神の義は、イエス・キリストを信じる信仰によるものであり、すべての信じる人に与えられるのだ。なぜ、「すべての人」という点が強調されているかと言うと、この時「ユダヤ人と異邦人」に関することが問題となっていたからだ。それゆえ、パウロは神の義が信じる人すべての人に与えられると言ったのである。

しかし、「義人はいない。ひとりもいない。」と言われているとおり、すべての人は罪人ではなかったのか?ユダヤ人であれ、異邦人であれ関係なく、全ての者は律法によって罪に定められたのではなかったのか?なぜ、そのような人々に神様は義を表してくださるのだろうか?確かにすべての者はアダムが罪を犯したことにより、罪の下にある者とされた。しかし、神の恵みにより、キリストが御自身の血をもって贖ってくださったことにより、不義の下にあった人々は救われ、その救いを信じる者には、キリストが義を表してくださったのである。