Subject: ローマ人への手紙「信仰の従順」 |
From: Shinya Daniel Kanno |
Date: 2010/08/25 16:00 |
To: Saiwainet |
「全世界に宣べ伝えられた信仰の従順」 菅野審也 2010.08.25 「信仰<4102>」ということばはローマ人への手紙で一番多く使われており、手紙 の出だしでこの教会の兄弟たちについてパウロが神に感謝している中で、まず第 一に彼らの信仰が全世界に宣べ伝えられていることを感謝している(1:8)。ま た、パウロは自分たちがキリストによって恵みと使徒の務めとを受けたのは、あ らゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためであったと宣言している (1:5)。では、このローマにいる兄弟たちが全世界へと宣べ伝えた信仰とは何な のか。ローマ人への手紙はその信仰について何と教えているのだろうか。 律法によって義と認められるのかそれとも信仰によって義と認められるのか。こ の問題については非常に有名で、多くの人が知っている通り、彼らの時代におい て非常に大きな問題であり、パウロはこのローマ人への手紙に限らず、他の手紙 においても取り扱っている。しかし、その中でもローマ人への手紙においてパウ ロはこのテーマについて非常に強調しており、35回ある信仰ということばのうち 10回を「信仰によって義と認められる」というテーマに関する言い方において 使っている。ローマ人への手紙でパウロがこのテーマを取り扱うにあたって、信 仰ということばの対義語として、「律法」ということばを多く用いている。この 「律法<3551>」ということばもローマ人への手紙で一番多く使われており、信仰 について考える時には忘れることのできないことばである。パウロ自信がこの手 紙に「人が義と認められるのは律法の行ないによってではなく、信仰による」と いうことが自分たちの考えであるとはっきりと明言している通りである(3:28)。 また、続けてその説明として、アブラハムを例として挙げている。アブラハムは 神を信じる、その信仰によって義と認められたのであって(4:3)、彼が割礼を受 ける前に義と認められたのは、割礼を受けないままで信じた者にとっても、また 割礼を受けた者にとってもすべての人の父となるためであったということが教え られている(4:11-12)。 このように、この祝福はイスラエル人だけではなく、異邦人である私たちにも及 んでいるのであって、私たちもまたアブラハムと同じようにキリストを信じると きには、その信仰によって義と認められるのである。これは、パウロがローマ人 への手紙の出だしと終りで同じ言い方を用いて、信仰について与えた一つの命令 の成就でもあるということが言える。その命令とは、「御名のためにあらゆる国 の人々の中に信仰の従順とをもたらす」ということである。 このようなわけで、この信仰は先祖たちから始まり、今の時代の私たちにも受け 継がれているのであって、私たちにはさらにこの信仰を宣べ伝えていく働きが与 えられているのである。私たちが毎週「みことばはあなたの近くにある。あなた の口にあり、あなたの心にある。」と宣言している信仰のことばの通り、すべて の者がイエスを主と告白し、神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださっ たと信じる時が来たならば、主イエス・キリストの栄光は全世界でさらに輝かさ れるのである。-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)