Subject:
ローマ:「世界の相続人」
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/09/08 7:00
To:
saiwainet

「世界の相続人となる」これは、アブラハムに与えられた約束である。この約束は旧約時代に与えられたものだが、新約時代にも適用される。なぜなら、アブラハムだけでなくその子孫にも対して与えられた約束でもあるからだ。その子孫とは、旧約時代には割礼によって民に加えられたユダヤ人のこと指していたが、新約時代には新しい定義がされた。新約時代のイスラエル人というものだ。では、その新しい定義とは何なのだろうか?「世界の相続人」であることの意味は何か?

アブラハムの子孫とはキリストを信じた者すべてのことである。すべてと言うときにそれは元々アブラハムに約束が与えられたときのように、割礼を受けたユダヤ人のみを指しているのではなく、ギリシャ人も含まれている。なぜなら、キリストの死と復活により、福音がすべての人に与えられたからである。その福音とは、ユダヤ人にもギリシャ人等の異邦人にも救いをもたらすものであり、その救いによって、信じる者は全てアブラハムの約束の内に入れられたのである。

それゆえ、新しい時代におけるアブラハムの子孫の定義とは、律法によってなされるのではなく、信仰によるものなのである。それゆえ、私たちは信仰によるアブラハムの子孫として、罪と死から解放され御霊に満たされるものとなったのである。私たちは、キリストによって肉の中ではなく、御霊の中にいるものとされたのだ。つまり、これはキリスト御自身が私たちのうちに住んでくださっているということであり、私たちを導いてくださっているのも、与えられた御霊なのである。これが、アブラハムの子孫と呼ばれるものであり、肉の割礼によるのではなく、御霊によってなるものなのである。

アブラハムの子孫であるということは、つまり「神の子供」であるということであり、私たちはキリストの十字架によって「世界の相続人」の約束に預かるものとされた、ということは神の子とされたということなのである。なぜなら、「相続人」とは子であるが故になるものであり、アブラハムの約束にいれられたものはみな、神の子とされ神の相続人とされたのである。

神の子とされた、アブラハムの子孫である私たちは、その完全な贖いにより、根本的には罪と死から解放されたのだが、今の世においては、まだ古い時代の肉のうちに捕らわれている。それゆえ、私たちの中には罪の律法と神の律法が共存し戦いあっており、神の子にふさわしい善なる行いをしようと思っても、悪を行ってしまうということが起こっている。しかし、これらの問題も死んで復活し、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられるときまでのことであり、私たちも当時この手紙を書いたパウロやほかの兄弟達も望みとしていたのである。