Subject:
ローマ人への手紙「預言者を通して」
From:
Shinya Kanno
Date:
2010/09/16 15:38
To:
saiwainet

「預言者を通して語られたみことば」 菅野審也 2010.09.16

ローマ人への手紙を読むにあたって、この手紙の差出人であるパウロが、驚くほどに多くの旧約の箇所から引用していることに気づくものである。特に9章や
10章はほとんどの節が旧約聖書からの引用である。これは、同じように旧約聖書からの引用が目立つヘブル人への手紙をも超すほどの量の引用箇所であり、これほどまでにパウロが引用箇所を多様することに何か特別な意味があるのには間違いない。では、パウロがローマ人への手紙において、これほどの量の箇所を引用しているのにはどのような意味があるのだろうか。

導入の文章において、「これほどの量」や「ヘブル人への手紙を超す量」等という言い方を用いて引用箇所の多さについて表現したが、まだ非常に漠然としており、どれだけ多いのかははっきりとはわからない。そこで、まずローマ人への手紙の全部の節の数と、引用で使われている節の数とを単純計算して、割合を見てみた。この計算により、パウロはローマ人への手紙全部で433節あるうちの57節分を旧約聖書からの引用で使っていることがわかった。しかし、数字だけをみれば8分の1の割合で、そこまで多くは感じられないものだが、読めばその数字以上の感覚を受けるものである。

パウロは、この感覚を持つことが正しいことであるということを証明するかのように、手紙の初めと終わりで一つの言い方を使っている。この言い方は引用箇所を多様することの意味を理解するのにも鍵となっていると考えられる。それは、すなわち、「預言者を通して/預言者によって」という言い方である(1:2,
16:25)。これは、まさに、パウロがローマ人への手紙を通して教えていることはすべて旧約聖書ですでに預言されていたものであるということ、またこれらはみなそのことの成就であるということを明らかにしているのである。ローマ人への手紙に多く登場するアブラハムの話もまたそのうちの一つである。

では、特に引用箇所の多い9章と10章で、旧約聖書を用いてパウロは何を教えているのだろうか。この手紙を送られたローマの教会では、「誰が本当の子孫であるのか」ということが一つ大きな問題となっていたわけだが、これが、9章と10章で取り扱われている問題である。彼らはみな、誰が本当のイスラエルであるのか、また誰がイスラエルから出た者なのかを非常に気にしており、実際にアブラハムの子孫である人が約束の子孫であるという考え方を持っていた。なぜなら、その考え方によっては誰が神の約束にあずかる者となるのかというのが変わってくるからである。そこで、パウロはイスラエルから生まれた者がそのまま約束の子どもであるのではないことをはっきりと教えている(9:8)。すなわち、異邦人である私たちにもこの約束は与えられているということである
(9:24)。これこそがパウロが多くの箇所を引用して教えていることである。異邦人であれ、ユダヤ人であれ、自分の口でイエスを主と告白し、心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるならその人に救いは与えられているのであって(10:9)、もはやユダヤ人とギリシャ人というような区別は取り除かれたのである(10:12)。それゆえ、「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」というみことばの通り、イエスを信じるすべての者こそが、アブラハムの子孫なのであって、アブラハムとともに世界の相続人とされた者たちなのである。

このようなわけで、パウロは、引用箇所をたくさん用いることによって、これらすべての約束が昔から預言されていたものであることをはっきりと彼らに示しているのであって、私たちもまたこのみことばに書かれている通りに、この約束のために、生ける神の子どもとされたということを教えているのである(9:26)。

-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)