Subject:
「御顔の光と世の光」
From:
Mikuni Kanno
Date:
2010/09/21 20:47
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

「御顔の光と世の光」

詩篇67篇は、国々の民が主の栄光を見て賛美するようにと願っている詩篇である。
1節の「どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。」という言い方を見て連想しなければならない箇所は、民数記6章23節から27節である。そこでは、神様がアロンにイスラエルの民を祝福する時にはこのように言いなさいと命じられている。つまり、「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。」という祝福の言い方である。詩篇67篇と共通のキーワードとしては、「祝福」、「御顔」、「照らす」などが挙げられる。

次に山上の説教とのつながりで考えると、マタイ福音書5章14から16節を見なければならない。そこでキリストは、私たちが「世の光」として、人々の前で輝き、人々がその良い行いを見て、天におられる父をあがめるようにしなさいと命じられている。つまり、人々は私たちを通して輝かされる神様の栄光を見て、神様を賛美するということになる。

では、この良い行いとは具体的に何なのか。それは、マタイ福音書6章に書かれている、「施し」である。2から4節に出てくる「施し」と1節の「善行」は同じギリシャ語の言葉になっている。この「善行」は良い行いである。つまり、隠れた所で貧しい人に施しをする人こそ、良い行いをしているのである。これによって、天の父から報いを受ける事ができる。

まず、神様が私たちに御顔を照り輝かして下さる事によって、私たちは良い行いをし、神様の栄光を輝かすことができる。また、これを見て、人々が天の父をあがめるようになる。これが、神様の光と私たちの光のつながりである。