Subject:
ローマ人への手紙「いのちの御霊の原理」
From:
Shinya Kanno
Date:
2010/09/24 10:33
To:
saiwainet

「子としてくださる御霊を受けた」 菅野審也 2010.09.24

「御霊」ということばはローマ人への手紙において全部で26回使われている。なんとそのうちの20回は8章で使われており、肉(8章に13回)ということばとの対比を通して、「イエス・キリストにある、いのちの御霊の原理のゆえに、決して罪に定められることはない」というテーマ、「私たちのうちにも御霊が住んでおられる」というテーマを取り扱っている。では、私たちのうちに住んでおられるその「御霊」とはどのようなものなのか。御霊は私たちのうちにあってどのような働きをしておられるのだろうか。

特に、御霊について教えられている8章はローマ人への手紙全体の概略において、前半の一番最後に位置しており、「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」というこの手紙の前半をまとめる言い方から始まっている。実は、8章は前半の御霊についての話に比べ、後半の神の愛についての話の方が有名で、「神の愛から引き離すものは何もない」という宣言は多くの人の間で引用されたりしている。しかし、パウロは神の愛について話す前にまず、「なぜ、キリスト・イエスにある者は罪に定められないのか」を御霊の働きを通して教えているのである。当然のことながら、この御霊の話は後半の神の愛とはばらばらの教えではなく、大きく関係しており、それどころか一つの教えであるということも言わなければならない。

そこで、まずはパウロが8章で教えている御霊とは何かを考えてみたい。御霊について考えるにあたって、肉ということばとは別に、この御霊とといっしょに考えなければならないことばがある。それは、「いのち」である。パウロは、「いのちの御霊の原理」(8:2)という言い方や、「御霊による思いは、いのちと平安です」(8:6)という言い方を使っているように、いのちと御霊をいっしょに考えている。直接いのちということばが使われているわけではないが、「イエスを死者の中からよみがえらせてくださった方の御霊があなたがたのうちに住んでいるなら、あなたがたの死ぬべきからだも御霊によって生かされるのです」(8:11)という言い方もいのちとの関係を現しているものであり、肉と死という対義語からもさらに明らかにされているものである。

以前私たちは、この対義語である肉に属する者たちであり、その肉の思いとのゆえに罪に定められている者たちではあった。しかし、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理のゆえに、罪と死との原理から解放され(8:2)、なんと私たちのうちにも御霊が与えられたのである。その御霊とは、子としてくださる御霊であり、すなわち、私たちは神の子どもとされたということである(8:14)。これこそが、私たちが決して罪に定められることのない最大の理由であり、さらに、後半で話されている主キリスト・イエスにある神の愛なのである。

このようなわけで、子であるゆえに、キリストとの共同相続人とされた私たちのうちにはいつも御霊が住んでいてくださるのであり(8:17)、弱い私たちが御霊によって「アバ、父」と呼ぶ時には(8:15)、神のみこころに従い、私たち聖徒のためにとりなしていてくださるのである(8:26-27)。

-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)