Subject:
ローマ人への手紙「自分に与えられた恵み」
From:
Shinya Kanno
Date:
2010/09/30 15:25
To:
saiwainet

「主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。」 菅野審也 2010.09.30

「恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。」(6:1)。このような問いかけがされているローマ人への手紙においては「恵み<5485>」ということばが21回使われている。この数は新約聖書の中では最も多く使われているということになり、また、旧約聖書を含めた聖書全体においても、詩篇の127回(02617)に次いで二番目に多く使われているということになる。この恵みということばは、使われている数だけではなく、ローマ人への手紙の出だしと終わりの両方で使われているということからも、この手紙において一つの大切なキーワードとなっていることは明らかである。

パウロはローマ人への手紙の導入で神の福音について話す中で、私たちは、あらゆる国の人の中に信仰の従順をもたらすために、神の恵みと使徒の務めを受けたことを伝えている。また、パウロがすべての手紙の初めと終わりで使う決まったあいさつの言い方ではあるが、そのあいさつの中でも、「主イエス・キリストから恵みと平安があるように」というように、恵みということばを用いている。このあいさつはローマ人への手紙においても初めと終わりの両方にある(1:7,
16:20)。では、パウロは私たちに与えられた神の恵みについてローマ人への手紙を通して何を教えようとしているのだろうか。

パウロはあいさつの他には、特に5章からの段落で恵みということばを多く使っている。21回あるうちの9回はこの段落で使われているのである。そこで、この段落では、この恵みということばと罪、死、律法等のことばが対比されており、その対比を通して、神の恵みについて具体的に教えられている。「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」という言い方が5章8節にあるとおり、ここでは神の恵みとは、すなわち、キリストの十字架と復活である。キリストは、ひとりの人アダムによって全世界に死が入り、すべての者が罪の下に置かれてしまったのに対して、ご自身が新しいアダムであるひとりのお方としておいでになり、私たち含めすべての者を、この罪の下から連れ出し、恵みの下へと移し、いのちを私たちのうちに与えてくださったのである。そのように、以前は神の敵であった私たちも今は神との平和を持ち、神の栄光を望んで大いに喜べるようにとされている。

これらのように、十字架と復活を通して神の恵みについて考える時に、無視することのできないテーマが一つある。そのことについては特に次の6章で教えられているわけだが、それは、私たちがキリストの死にあずかるバプテスマを受けたということである。これは、すなわち、私たちも十字架上にあってキリストとともに死んだということなのである。さらに、私たちはキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きるのであるということも知っている。この通り、私たちはただ単にキリストの恵みをこの身に受けただけなのではなく、キリストとともに十字架と復活にあずからせていただいたということがここでの大切なポイントであり、これこそが神の恵みなのである。

このようなわけで、キリストの愛とも表現されるこの十字架と復活こそが、差出人であるパウロがローマ人への手紙を通して教えようとしている私たちに与えられた神の恵みなのである。そこで、私たちは神の恵みを与えられた者として、おのおの神から分け与えられた信仰の量りに応じて、慎み深く働くことが求められている。私たちはこの命令に従い、罪の下から連れ出された者として、自分のからだを義の奴隷としてささげる時には、賜物として主キリスト・イエスにある永遠のいのちが与えられるのである。

-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)