Subject:
ローマ人への手紙「自分に与えられた恵み」
From:
Shinya Kanno
Date:
2010/10/01 22:56
To:
saiwainet

「恵みと平和がありますように。」 菅野審也 2010.10.01

「恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。」(6:1)。このような問いかけがされているローマ人への手紙においては「恵み<5485>」ということばが21回使われている。この数は新約聖書の中では最も多く使われているということになり、また、旧約聖書を含めた聖書全体においても、詩篇の127回(02617)に次いで二番目に多く使われているということになる。この恵みということばは、使われている数だけではなく、ローマ人への手紙の出だしと終わりの両方で使われているということからも、この手紙において一つの大切なキーワードとなっていることは明らかである。

パウロはローマ人への手紙の導入で神の福音について話す中で、私たちは、あらゆる国の人の中に信仰の従順をもたらすために、神の恵みと使徒の務めを受けたことを伝えている(1:5)。また、手紙の終わりでは自分が異邦人のためにキリストの仕え人となるために神から恵みを受けていることも伝えている(15:16)。さらにまた、パウロがすべての手紙の初めと終わりで使う決まったあいさつの言い方ではあるが、そのあいさつにおいても、「主イエス・キリストから恵みと平安があるように」というように、恵みということばを用いている。当然のことながら、ローマ人への手紙もこのあいさつで始まり、そして終わっている(1:7,
16:20)。では、パウロは私たちに与えられた神の恵みについてローマ人への手紙を通して何を教えようとしているのだろうか。

パウロはあいさつの他には、特に5章からの段落で恵みということばを多く使っている。21回あるうちの9回はこの段落で使われているのである。そこで、この段落では、この恵みということばと罪、死、律法等のことばが対比されており、その対比を通して、キリストの十字架と復活が私たちにとって神の恵みであることを教えている。「もし死がひとりの人の違反によるのであれば、なおさらのこと、恵みはひとりの人キリストによって与えられるのです」(5:17)というパウロの訴えの通り、キリストは、古いアダムによって人類に与えられた呪いを祝福へと変え、信じる私たちに恵みをもたらすために、ひとりの人であり、新しいアダムである方として十字架上で死に、そして復活してくださったのである。この死と復活とを信じた私たちはキリストの死にあずかるバプテスマを受けたことによって、この同じ死にあずかり、またキリストにあって生きた者とされたのである。このようにして、以前は神の敵であった私たちも今は神との平和を保っており、キリストの十字架上での苦しみによる私たちへの恵みは、さらに私たちに平和をももたらしたのである。パウロは、この平和をということばを恵みといっしょに用い、切り離すことのできないことばとしても教えている(1:7,
16:20)。

このようなわけで、キリストの愛とも表現されるこの十字架と復活こそが、差出人であるパウロがローマ人への手紙を通して教えようとしている私たちに与えられた神の恵みなのである。そこで、私たちはこの恵みを与えられた者として、おのおの神から分け与えられた信仰の量りに応じて、慎み深く働くことが求められている(12:3)。私たちはこの命令に従い、罪の下から連れ出された者として、自分のからだを義の奴隷としてささげる時には(6:13,
6:19)、賜物として主キリスト・イエスにある永遠のいのちが与えられるのである(6:23)。

-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)