Subject:
ローマ人への手紙「ヘブル人への手紙とのつながり」
From:
Shinya Kanno
Date:
2010/10/07 11:24
To:
saiwainet

「ローマ人への手紙とヘブル人への手紙のつながり」 菅野審也 2010.10.07

聖書全体、旧約聖書それぞれに書物の並んでいる順番に意味があり、構造がある。これらが無意味に並んでいるようなことは絶対にない。それと同じように、ローマ人への手紙要する新約聖書にもちゃんと構造があり、さらに、手紙と呼ばれるまとまりの一番最初にローマ人への手紙が位置していることにももちろんはっきりとした意味がある。

聖書には「手紙」は全部で21個あるが、そのうちの13個はローマ人への手紙も含め、パウロが書いたものであるということがはっきりと分かっており、差出人が一環しているものである。しかし、残りの8個は、誰が差出人であるのかわからないものであったり、差出人が一環してないものである。パウロが書き送った13個の手紙はすべて前半にまとまっており、手紙というまとまりを大きく二つに分けるときには、ローマ人への手紙からピレモンへの手紙の13個と、ヘブル人への手紙からユダの手紙の8個というように分けることになる。このような分け方にするときには、ローマ人への手紙と12個の手紙(1+12)、ヘブル人への手紙と7個の手紙(1+7)というように、非常に興味深い数字となっている。また、この二つは、善悪の知識の木といのちの木、義と聖、王と祭司といういつもの枠組みでも考えることができ、特に、ローマ人への手紙からが善悪の知識の木/義/王、ヘブル人への手紙からがいのちの木/聖/祭司であるということが言える。

このように、手紙というまとまりにおいては、ヘブル人への手紙がローマ人への手紙と同じように新しい段落の始まりの手紙であることから、それぞれ並行している手紙として考えなければならない。では、この二つの手紙のつながりは何なのだろうか。また、ヘブル人への手紙のつながりを通してローマ人への手紙についてさらに明らかにされることとは何なのだろうか。

ここにいくつかの枠組みが挙げられているが、その中でも、王と祭司という枠組みが一番はっきりとしているのではないだろうか。特にヘブル人への手紙では、大祭司であるキリストについて、また礼拝制度、犠牲制度についても教えられており、旧約時代に命じられていた礼拝がキリストによってどのように成就されたのかが教えられている。また、ローマ人への手紙では、ヘブル人への手紙ほどははっきりとはしていないが、王である者に対して求められる知恵について教えられているのではないかということが考えられる。そのためなのか、知恵に関連する「知る」ということばも非常に多いように感じられる。ここでは、神を知ること、神を恐れることが知恵であると教えられているのである。

ローマ人への手紙とヘブル人への手紙を比べるにあたっては、以上で挙げられた三つの枠組みの他に、異邦人とユダヤ人という枠組みを通しても考えることができる。この枠組みは、「ペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。」(ガラテヤ2:8)というガラテヤ人への手紙におけるパウロのことばに基づいているものである。実は、この枠組みは、この二つの手紙に限らず、手紙というまとまり全体を大きく二つに分けたときにも用いることができるものである。そのようなわけで、ローマ人への手紙は、預言者たちを通して長い間語られていた神の福音について、特に異邦人に対するものであるという観点から考えなければならない。それに対して、ヘブル人への手紙はユダヤ人に対して語られたものであるという観点から考えることになる。

前の文章であえて強調したことではあるが、どちらの手紙も「預言者を通して」という言い方から始まり(ローマ1:2,
ヘブル1:1)、これらの手紙で教えられていることが、昔からずっと語られていたものであったことも強調している。このことをさらにはっきりさせるかのように、この二つの手紙では、他の手紙に比べて、旧約聖書からの引用が非常に多い。また、私たちの信仰の先祖であり、旧約時代に信仰の生活を送ったアブラハムについても長く話されている。アブラハムという名前の登場回数も他の手紙に比べて多く、それを良く現している(ローマ:10回、ヘブル:14回)。このアブラハムの話にもローマ人への手紙とヘブル人への手紙でそれぞれ違いを見ることができる。ローマ人への手紙においては、みなの良く知る「義と認められる」ことについての話の中でアブラハムが登場しているのに対して、ヘブル人への手紙では、「子孫を与える」という彼に与えられた約束の話の中で登場している。

このようなわけで、これらのヘブル人への手紙とのつながりを踏まえ、ローマ人への手紙からは、新しい時代にあっては、ユダヤ人に限らず、異邦人にも神が知らされたということ、また、割礼を受けていない異邦人であっても、神を信じる時には、その信仰によってアブラハムとともに約束にあずかる者となることができるということが教えられるのではないだろうか。これこそが、パウロがローマ人への手紙を通して、神の福音について私たちに教えたかったことなのではないだろうか。




以上で挙げた二つの手紙のつながりは、まだまだ出だしに過ぎず、この短い論文には到底まとめることができないほどのさらに深いものではあるが、これを通して、少しでもローマ人への手紙とヘブル人への手紙は並行しているものとして考えなければならないということをお分かりいただけただろうか。

-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)