Subject:
1コリント:「誇り」
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/10/12 22:37
To:
saiwainet

「誇り」というキーワードは1コリント人への手紙に4回、高ぶるという言葉も6回使われている。それらの箇所からを読むとき、当時のコリントの教会において、誇りや高ぶりが問題となっていたようだ。そこで、パウロはこの手紙を通して、彼らに誇ってはいけないと教え、彼らを取り扱ったのである。では、彼らの問題とは具体的に何であったのか?それに対するパウロの解決は何だったのだろうか?

1章で取り扱われている「誇り」に関する事とは、救いと選びについてである。神様が、この世の愚かな者や弱い者、また、この世で取るに足りないと思われている者を選んでくださった事の一つの理由は、私たちが誰も自分を誇ることが無いためなのだからである。それゆえ、私たちは自分たちの知恵によって神様を信じたのでもなく、自分たちの賢さ故に救いを受けたのでもない。パウロ同様、ただ神のみこころによって召されたのである(1:1)。それゆえ、私たちに自分たち誇るなどという余地は全くない。

コリントの教会の人々も、同じように神のみこころによって選ばれ、救いを与えられたのにも関わらず、お互いに対して誇りや高ぶりと言った問題が出てしまったのである。彼らの中には、何か自分が知識を持っているかのように思っている者がいたようだ。また、自分が誇り高ぶるだけでなく、同じような事をしているものを取り扱う事も無かったのだ。それゆえ、パウロは彼らを取り扱う必要が出てしまったのである。