Subject:
コリント人への手紙第一「パウロにならう者となる」
From:
Shinya Kanno
Date:
2010/10/28 14:09
To:
saiwainet

「パウロにならう者となるように」 菅野審也 2010.10.28

神のみこころによりキリスト・イエスの使徒されたパウロ、またコリント人への手紙の差出人でもあるこのパウロは、コリントの教会に宛てた第一の手紙の中で、問題を抱える兄弟たちに対して、一つのことを勧めている。「どうか、私にならう者となってください。」(4:16)。これがその勧めである。この勧めは、教会が抱えている問題をどのように解決し、どのような歩み方をしなければならないのかを示すものであるとも言えるだろう。では、私たちがパウロにならう者となるべく、コリント人への手紙第一から教えられている「パウロ」とはどのような人物なのだろうか。

コリント人への手紙第一には、パウロが「私のようになってください」と教会に勧めている、その勧めは、4章16節を含めて全部で4回ある。

1. ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。(4:16)
2. 私の願うところは、すべての人が私のようであることです。(7:7)
3. 私のようにしていられるなら、それがよいのです。(7:8)
4. 私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。(11:1)

そのうちの1回、すなわち一番最初である4章16節の「私にならう者となってください。」という言い方には、コリントの教会が抱えている一つの大きな問題が背景にある。その問題とは、「私はパウロにつく。」、「私はアポロにつく。」、「私はキリストにつく」等という争いと分裂である。彼らはパウロこそが、またはアポロこそが自分たちの指導者であると考えており、ある意味ではパウロや使徒たちにならう者となっているとも言えなくはないが、それはもちろん、実際は正しいやり方ではなく、パウロが求めているような、彼にならう者ではない。そこで、パウロは教会から争いをなくすべく、この勧めをしているのである。パウロが自分にならう者となることとして、具体的に挙げていることの一つは、自分たち使徒たちを「キリストのしもべ、また神の奥義の管理者」だと考えるようにということである(4:1)。また、前の節にあっては、このキリストのしもべはみなキリストのものであり、キリストにあって一つであるということも教えている(3:22-23)。パウロ含め、すべてのキリストにあって選ばれた使徒たちはみな、苦しみや迫害の時代にあって、飢え、渇き、着る物もなくなり、落ち着く先もなく(4:11)、そのような中で自分の手で働きながら(4:12)、神の福音を宣べ伝えて来たのである。これこそが、同じキリストのしもべとして、また同じ苦しみの状態にある者として、コリントの教会が見習わなければならないところなのである。

次に、パウロは結婚の話の中で、「私のようになる」という言い方を2回用いている。パウロはここで結婚の話をするにあたって、二つの観点から教えているように考えられる。一つは、コリントの教会が一つ問題として抱えていた不品行の問題を解決するために、どのような結婚生活を送らなければならないのか、それとも逆に結婚しないほうがよいのかということ。もう一つは、マタイの福音書24章にも基づき、苦難の日にはどのようにしなければならないのかということである。
不品行の問題はコリント人への手紙では一つ非常に重要な問題であるが、パウロはその不品行を避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持つようにと容認している。しかし、結婚していない者たちには、召されたときのままの状態で主の御前にいるようにと命じている(7:17,
7:24)。これがパウロが勧めている自分のようであるということである。パウロは、ひとりひとり神からそれぞれ異なった賜物を受けているという意見も尊重しつつ、このことを勧めているのである。なぜなら、この時代は苦難の日が近づいていたということもあって、コリントの教会に苦難に会わせたくないというパウロの意図もあったからである(7:28-29)。

最後に、パウロは自分にならう者となることについてこの言い方でまとめている。「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。」(11:1)。ここにこそ、すべての原点がある。すなわち、パウロにならう者となるとは、「キリストにならう者となる」ことなのである。そのようなわけで、私たちは、キリストが、またパウロがいっさいのことを愛を持って行ってくださったように、私たちも堅く信仰に立ち、男らしく、愛を持って行わなければならないのである(16:13-14)。なぜなら、私たちは神の似姿であり、私たちのかしらであるキリストの栄光の現れだからである(11:7)。

-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)