Subject:
1コリント:「不品行な者たち」
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/10/29 21:14
To:
saiwainet

パウロがコリントの教会に対して書き送ったこの手紙の中では、ピリピへの手紙等で取り扱われている、外からの教会に対する攻撃ではなく、兄弟達の間の争いや不品行といった、聖徒たちの中での問題が取り扱われている。神様を信じる者であるにもかかわらず、兄弟同士でさばきあったり、逆にさばくべき問題を取り扱わなかったりということが起こっていた。では、これらの問題をパウロはどのように取り扱ったのだろうか。その事について、特に5-6章の中から分析してみることとする。

5章1節「あなたがたの間に不品行があるということが言われています…異邦人の中にも内ほどの不品行で…」これはパウロが、コリントの教会の中で起こっていた問題について書いた事なのだが、この「不品行」が特に大きく取り扱われている言える。彼らの間には、父の妻を妻にしているというほどの不品行があったと言われており、パウロはそれを「異邦人の中にもないほどの不品行」と呼び、その罪がどんなに重いものであるのかを表現した。また、コリントの教会における問題はそれだけでなかった、それほどの罪が犯されている上で、さらに、それらの問題や罪を正しくさばかないということが、これらの罪の問題をさらに大きくしてしまっていたのである。

そこで、パウロは「不品行な者たち」から離れ、彼らのような者とは交際しないようにと命じた。しかし、ここで言われている「不品行の者」とは、彼自身が5章で書いている通り、特に世の中の不品行の者の話がなされているわけではなく、クリスチャンで兄弟と呼ばれる者の中に、そのような不品行な者がいる場合は、彼らとはつきあっても、一緒に食事してもいけないということが命じられているのである。なぜなら、クリスチャンではない不品行な者をさばいたとしても、それはあくまでも、外部の人をさばくことであり、コリントの教会が必要としていたのは、内部の人たちをさばくことだったからである。自分たちの間の問題をさばかずしては、外部の者の問題を取り扱うなどあってはならないことなのだ。そこで、パウロは外部の人たちに対するさばきは神様にゆだね、まずは自分たちの間から悪を取り除くようにと命じたのである。

1コリント6章2節でも言われているとおり、聖徒たちは最終的に世界をさばく者になる。つまり、キリストが栄光の座につかれる時、私たちも共にその座に座る者となると約束されている。神様を信じる人々にはそのような約束を与えられたのだが、コリントの教会はその約束の成就に向かって進むどころか、自分たちの問題を正しくない人々に訴えたり、お互いを訴え合ったりしてしまっていたのである。これらの事を、パウロは「不正」と呼び、兄弟の間からこれらを取り除くようにと教えた。

聖徒たちは世界をさばくようになるというのは、神の国の王となるということなのだが、コリントの教会のように不正を行う者達、正しくない者は神の国を相続できないとパウロは5章9節からの箇所で具体的に書いた。ここでパウロがリストアップした「神の国を相続できない者」とは正に、山上の説教の「~の者は幸いです」というマタイ5章3-12節の「神の国を相続する」と言われている者たちと正反対である。

パウロが書いている通り、彼もコリントの教会の者たちもキリストによって贖われる前は「不品行の者、偶像礼拝する者、姦淫する者…(6:9-10)」だったのだが、神の御霊によって洗われたことにより、聖なる者とされたのである。そこで、パウロはコリントの教会が不品行に走るのではなく、聖なる者とされたにふさわしく生き、教会を建て上げていくようにと、この手紙を通して教えたのである。