Subject:
コリント人への手紙第一「偶像にささげた肉」
From:
Shinya Kanno
Date:
2010/11/04 11:47
To:
saiwainet

「偶像にささげた肉についてですが」 菅野審也 2010.11.04

パウロは8章1節で「次に、偶像にささげた肉についてですが」という言い方を用い、8章からは新しい段落が始まることを明言している。この段落においては、前の段落までとは違い、出だしの言い方の通り「偶像にささげた肉」について取り扱っている。(このような言い方もあるためか、コリント人への手紙第一は、他の手紙に比べて、より実践的な手紙として多くの人の間で知られているようである。)では、パウロは偶像にささげた肉について取り扱うにあたって、何をその根本的な問題として指摘し、注意しているのだろうか。

パウロはまず最初に自分たちの知っていることについて確認するかのように、次のことを述べている。「私たちは世の偶像の神は実際にはないものであること、また、唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。」(8:4)。実は、これは偶像にささげた肉についての問題の中で非常に大切なことなのである。なぜなら、パウロがここでこの問題を取り扱っているのは、弱い兄弟のためであるからである(8:9)。パウロのように、強い兄弟たちの間では、4節で言われているようなことは当然のごとく知られており、すべてのものは父なる唯一の神から出ており、自分もまたこの方のために存在しているということを知っていた(8:6)。しかし、このような知識はすべての人にあるのではなく、今まで偶像になじんで来た弱い兄弟たちの間では、そのことについてあまりよく知られていなかったのである。

そこで、パウロはコリントの教会で強い兄弟とされる者たちに対して、その人たちの権利が弱い人たちのつまずきとなることがないように、気をつけなさいと厳重に注意をしている
(8:9)。彼らの権利、そして知識は、時にはこのような弱い兄弟たちを滅びに至らせることにもなってしまうのである。このように行なってしまうことは、弱い兄弟たちに対して罪を犯すことになるのであり、さらにはキリストがその兄弟たちのためにも死んでくださったことを否定することになるのである。そこで、パウロはそのような兄弟たちのつまずきになるようなことがあるのであれば、今後いっさい偶像にささげた肉を食べないと宣言している(8:13)。

このようなわけで、この偶像にささげた肉についての問題は、ただ自分が偶像礼拝をしてしまっていないだろうかということを取り扱っている問題ではなく、兄弟との関係、すなわち兄弟愛を取り扱っている問題なのである。「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」という8章1節のことばの通りである。それゆえ、この問題を教会の中で正しく取り扱い、誰一人としてこのことのゆえにつまずくことがないようにすることによっては、私たちのする行動が人に益を与えるのであって(10:23)、さらには神の栄光が現されるのである(10:31)。

-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)