Subject:
コリント人への手紙第一「御霊の賜物」
From:
Shinya Kanno
Date:
2010/11/11 14:10
To:
saiwainet

「よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい」 菅野審也 2010.11.11

コリント人への手紙第一では、「御霊<4151>」ということばが33回使われており、手紙の中では一番多く使われている書物である。やはり、その数の通り、コリント人への手紙第一では、御霊について、一つ大切なテーマとして取り扱われている。この御霊については、特に2:1-4:21と
12:1-14:40の二つの段落において説明されており、「賜物」ということばともペアで教えられている(「賜物」ということばもコリント人への手紙第一に一番多い)。では、私たちはコリント人への手紙第一から「御霊の賜物」について何を教えられるのだろうか。

まずは、二つの段落のうちの一つ目にあたる、2:1-4:21の段落から御霊について考えるとする。この段落においては、前の段落で教えられていた神の知恵とこの世の知恵との対比を受けて、引き続き知恵との並行で教えられている。「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現れでした。」(2:4)
この世の知恵が重要視されている世の中にあって、パウロはこのことばの通り、自分がこの世の知恵を用いず、かえって神の知恵、すなわち御霊を用いて宣べ伝えてきたことを強調している。なぜなら、パウロは、もちろんこの世の知恵が神の前では愚かなものであることを知っていたわけであり、また、何よりも自分が神の御霊を受けた者であることを自覚していたからである。この御霊によって私たちは、御霊のことばを語り、さらには各自与えられた賜物について知り、理解するのである。

そこで、次に、その御霊の賜物については、二つ目の段落である12:1-14:40で教えられている。
12:1-14:40の段落は「さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていただきたいのです。」という言い方から始まるため、この段落が御霊の賜物について教えていることは明らかである。ここで、パウロは御霊の賜物について教えるにあたって、からだのたとえを用いて教えている。すなわち、からだは一つであっても、多くの部分があり、また多くの部分があっても、からだは一つであるように、各器官が比較的弱いと見られる器官を補い、からだの中で調和し、平和を保たなければならないということ、またからだの中で必要とされない器官は一つもないということである。それと同じように、私たちもキリストにあって一つのからだとして、各自が自分に与えられた働き、また賜物をわきまえて、お互いの益になるために働き、一致を保たなければならないということである。みながみな教会の中にあって、使徒とされたわけでもなく、または預言者、教師と任命されたわけでもないからであり、ある人には知恵のことば、またある人にはいやしの賜物というように、御霊は一つであっても、ひとりひとりに与えられた働き、奉仕は違うのである。しかし、その各自に与えられた違う賜物によって、かえって御霊にある一致が与えられるのである。

このようなわけで、パウロは最後にまとめとして、兄弟たちに「よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい」という一つの命令を与えている(12:31,
14:1, 14:12)。これらはすべて、13章で教えられている「愛」についての教えにもつながっているのであって、逆に言うならば、パウロの与えている「賜物を求めるように」という命令を守り、その賜物を正しく用いることこそが兄弟愛なのである。私たちの属するのは、混乱の神ではなく、平和の神であられるからである(14:33)。

-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)