Subject:
コリント人への手紙第一「キリストの十字架と復活」
From:
Shinya Kanno
Date:
2010/11/25 16:46
To:
saiwainet

「コリント人への手紙第一におけるキリストの十字架と復活」 菅野審也 2010.11.25

他の手紙と同じく、パウロは、コリント人への手紙第一で、キリストの十字架と復活について、一つの全体を貫く大切なテーマとして取り扱っている。中でも、
1章と15章では、十字架または復活ということばが実際に使われており、直接的に教えられていることがはっきりとしている。このように、コリント人への手紙第一では、十字架と復活とが全体を貫いていると同時に、全体を囲む形にもなっているのである。では、この手紙からキリストの十時かと復活について何を教えられるのだろうか。また、これらのことは、私たちにとってどのような益になっているのだろうか。

このテーマについては、1章と15章で扱われているわけだが、使われていることばからも、特に1章は十字架について、15章は復活についてというように、はっきりと分けることができる(6回ある「十字架」ということばは1章と2章の頭までですべて使われている、また7回ある「復活」ということばもすべて15章で使われている)。そこで、まず1
章からパウロが説いている「十字架」について考える。この箇所では、パウロは特に十字架の知恵という観点から十字架について取り扱っている。なぜなら、彼らの時代には、コリントの教会にあって、この世の知恵に惑わされ、十字架を恥としてしまう人がいたからである。そのため、パウロはそのような彼らを戒め、何が本当に知恵であるのか、すなわち、キリストの十字架こそが私たちにとって神の知恵であることを教えている。また、最後には、この教えのまとめとして、十字架につけられたキリストを宣べ伝えることが自分たち、教会に与えられた使命であることを強く認識させている(1:23)。

「キリストが十字架にかけられた」ということが、パウロたちの宣べ伝えていることであるということについては、復活について教えられている15章にも共通して言えることである。実は、15章は、「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。」という言い方から始まっており、その福音の最も大切なこととして、パウロたちが宣べ伝えてきたのが、「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、そして聖書に従って三日目によみがえられた。」ことなのである(15:3-4)。このように、キリストがご計画の通りに、十字架にかけられ、そしてよみがえってくださったことにより、私たちにも復活のいのちが与えられたということが、次にパウロが教えていることである。

ここでは、パウロは、特に復活を否定する者たちを取り扱っており、死者の復活を否定する者はみな、キリストの復活をも否定することになるのであって、それは、さらには自分たちの復活をも否定することになるのであるということを教えている。もし、キリストが死者の中から復活されていないのであれば、私たちの信仰はみなむなしく、キリストにあって眠った者は滅びたことになるのである(15:17-18)。しかし、キリストは聖書に従い、眠った者の初穂としてよみがってくださった(15:20)。それゆえ、アダムというひとりの人によってすべての人が死んだように、キリストによってすべての人が生かされることになったのである(15:22)。

このようなわけで、私たちは、以前は生きた者となった最初の人アダムに属する者であったのが、今は、生かす御霊となった最後のアダムに属する者となり
(15:45)、朽ちるものから、朽ちないものへと変えられたのであって(15:42)、私たちはみな、キリストの復活にあずかり、共によみがえらされたのである。それは、私たちが勝利を与えられた者として、堅く立って、主のわざに励み(15:58)、神の国を相続する者となるためであり(15:50)、みことばが実現されるためである(15:54)。

-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)