Subject:
コリント人への手紙第一「全体のメッセージとは?」
From:
Shinya Kanno
Date:
2010/12/02 15:01
To:
saiwainet

「コリント人への手紙第一の全体のメッセージとは?」 菅野審也 2010.12.02

「わたしはパウロにつく。」「わたしはアポロにつく。」という分裂の問題。不品行、そして偶像にささげた肉について、さらには聖餐式の問題がを取り扱われていることからも、他の手紙に比べて、より具体的な問題を取り扱っている手紙として知られていることが多いコリント人への手紙第一。その手紙において、パウロは、何を教会の問題として取り扱っているのか。また、その問題をかかえる彼らをどのように励まし、聖徒にふさわしくどのような歩みをするべきだと教えているのだろうか。

コリント人への手紙第一は全体を、1:1-3の初めのあいさつと16:1-24の終わりのあいさつに続き、
1:4-31/2:1-7:40/8:1-14:40/15:1-15:58という大きく四つに分けることができると考えられる。このように四つに分けることによって、この手紙で中心的に取り扱われていると考えられる二つの問題が浮かび上がってくる。すなわち、不品行(5:1-7:40)と偶像にささげた肉(8:1-11:34)についてである。この二つであることについては、使徒15:29の「すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」という言い方と、使徒21:25の「信仰にはいった異邦人に関しては、偶像の神に供えた肉と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けるべきであると決定しましたので、私たちはすでに手紙を書きました。」という、これら二つの言い方が明らかにしている。このように、使徒たちはコリントのような異邦人たちの教会にあって、たくさんのことが問題視される中で、特にこの二つだけは避けるようにと命令を与えることを決めたのである。コリント人への手紙第一はそのうちの一つである。

これら二つの問題を具体的に取り扱っている、真ん中二つの段落は、さらにその中を二つずつに分けることができ、それぞれ、御霊についての教えとの組み合わせになっている
(2:1-4:21 御霊の知恵/5:1-7:40 不品行、8:1-11:34 偶像にささげた肉/12:1-14:40 御霊の賜物)。
そこで、まず不品行の問題を取り扱っている5:1-7:40の段落においては、実際に不品行を行なっている者を戒めると同時に、それが教会で行なわれていながら、正しくさばきを行なっていないということを問題として挙げている(5:2)。この罪に対して、パウロが解決として教えているのが、御霊の知恵である。すなわち、私たちはみな神の御霊を受け(2:12)、キリストのものとされたということ(3:23)、また、「主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、洗われ、聖なる者とされ、義と認められた」ということである(6:11)。それゆえ、それにふさわしい者として、正しく結婚する、あるいは正しく結婚しないのである。
次に、偶像にささげた肉についての段落である8:1-11:34においては、強い兄弟と呼ばれる者たちが偶像にささげた肉を食べ、弱い兄弟をつまずかせているということが問題となっている(8:9)。これに対しては、御霊の賜物として、強い兄弟も、弱い兄弟もみながキリストにあって一つのからだであること、それゆえに、愛を追い求めなければならないということを教えている。

実は、「御霊の一致、またキリストにあって一つのからだである」ということについては、どちらの段落にも、共通して言えることであり、さらには、これらの真ん中の段落を囲んでいる、十字架と復活の段落においてもポイントとなっているテーマである。この通り、パウロは、自分たちがキリストのからだとされた者であることを、コリントの教会への教えの基盤としている。もし、彼らがこの教えを心に留め、御霊の一致を保ち、各自が与えられた働きに励む時には、不品行や、偶像にささげた肉について等、これらの問題は避けることができるのである。

このようなわけで、私たちもこの手紙を受けた者として、目を覚まして、信仰に堅く立ち、男らしく、強くあるように、またいっさいのことを愛をもって行なうようにという命令を与えられている(16:13-14)。これでこそ、私たちもまたキリストにある一つのからだとして、御霊の一致を保つことができるのである(1:10)。

-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)