Subject:
コリント人への手紙第二「神から受ける慰め」
From:
Shinya Kanno
Date:
2010/12/09 16:47
To:
saiwainet

「すべての慰めの神がほめたたえられますように」 菅野審也 2010.12.09

コリント人への手紙第二では一つのことばが非常に目立つ。そのことばとは、「慰め<3874>」。実は、このことばは、他のどの手紙よりも多く、新約聖書の中で一番多く使われている(11回)。また、手紙の出だしのあいさつも、「私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。」という言い方になっている(1:3)。そのような意味でも、この手紙における「慰め」ということばの大切さは明らかであるということが言えるのではないだろうか。では、パウロがコリント人への手紙第二を通して教えようとしている「慰め」とは何か。パウロにとって、また私たちにとっての慰めとは何なのだろうか。

パウロは、このコリント人への手紙第二において、「慰め」については前半、特に1-2章と6:11-7:16の段落で取り扱っており、どちらかというと、6-7章の段落の方でより具体的なことを教えていると考えられる。
そこで、まずは1-2章から「慰め」について考えてみる。この段落、またこの手紙全体は、「すべての慰めの神がほめたたえられますように。」というしょうえいから始まり(1:3)、特に慰めについての教えで基盤となっていることを初めに教えている。すなわち、パウロたち、また私たちも同じように受けているこの慰めはすべて、神様から与えられたものであるということである。神様はどのような苦しみのときにも私たちに慰めを与え、キリストにある慰めをあふれさせてくださるのであって(1:4-5)、このように、私たちに慰めが与えられることによっては、同じ苦しみにある人たちに慰めを与えることになるのである
(1:6)。

次に、この慰めについて6:11-7:16の段落にあって、具体的に教えられていることとは、すなわち、テトスが来たこと、またそればかりでなく、テトスがコリントの教会から受けた慰めによっても、パウロが慰められたということである(7:6-7)。パウロにとって、コリントの教会が自分の教えた、その教えに従って、正しく歩んでいること、また自分自身を慕ってくれているということを聞くことほど、大きな喜びは他にはなく、慰めとなることはない。このことのために、パウロはどのような苦しみの中にあっても、喜びに満たされることができているのである(7:4)。

そのようなわけで、それぞれの段落から「慰め」について考えてくると、両方の段落にあって「喜び」ということばが一つポイントとなっていることに気づく。すなわち、慰めを受けるということは、それに留まらず、喜びに満たされることをも意味しているのであるということがわかるのである。さらに、これら二つのことについては、コリント人への手紙第二全体をまとめる問いになっているとも言うことのできる13:11の命令、「喜びなさい。完全な者となりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。」。その中にも含まれている命令二つなのである。

-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)